わかりました。では昨年、2002年のお話です。1993年をパンクラス1年目とすると、2002年がちょうどパンクラス10年目になります。
北岡悟:ん〜、この年は、僕が『ネオブラッド』(7月・後楽園ホール)で頑張ったんじゃないかなと(笑)。

準優勝でしたよね。北岡選手ご本人の中ではその『ネオブラッド』があって。
北岡悟:そうですね。ん〜、何がありましたっけ?

私の中の印象的な出来事を1つ挙げさせていただければ、12月・ディファ有明での、高橋選手、山宮選手、謙吾選手、元・東京道場所属3選手の敗北というのがあります。
北岡悟:まぁ、高橋さんが『U.F.C.』で勝ったスタイルっていうものに、行き詰まり感が出てきてると思いますね。もちろんそのスタイルは強いスタイルではあると思いますけど、全体のレベルが上がってきて、通用し辛くなってきてる部分があるっていうことだと思います。でも高橋さんは(今年)7月に(小澤 強選手に)リベンジされて、そのスタイルをもっと磨き上げて工夫すればまだまだ通用するっていうことを証明したわけですけど、全体としてそれに頼ってるだけじゃダメだということの顕著な例ですよね。僕も東京道場所属だったんですけど、所謂東京スタイルじゃないんですよね(笑)。

あと、選手の方に起きた出来事で言えば、東京道場と横浜道場が1つになったと。
北岡悟:そうですね。ism。まぁ、一緒に練習するようになって、良くなった部分とあんまり変わらない部分がありますよね。ん〜、他に何がありましたっけ? そうだっ! 11月(横浜文化体育館)の鈴木VSライガー戦だ。


ありましたね。あの試合はどうご覧になってました?
北岡悟:ん〜あんまり関係ないよって思ってましたけどね。普通の試合でしょって感じで思ってましたね。ただ、実際あれだけお客さんが集まって、会場の雰囲気も異様になって、お客さんも盛り上がって。それで年末の郷野さんの発言に繋がっていくわけですけど、あの1戦でお客さんがいっぱいになってしまうということが現実なんだと。そういうことですよね。僕はデビューして今年3年目で、『ネオブラッド』の決勝とかも経験してきてるんですけど、そこまでまだ力もないので。全然。お客さんをあれだけ揺るがしたりするっていう力が。それはやっぱりライガー選手にしても、鈴木さんにしても、すごいなっていう部分はあります。やっぱりプロとして現実あると思うので。僕は格闘技をやってるわけで、もちろん格闘家としてライガー選手や鈴木さんに負けたくないし、負けないって気持ちはありますけど・・・。まぁ、プロなんで、そのプロの現実を感じました。それは、この年にアライ(ケンジ)と2回対戦してるんですけど、そこでも感じましたね。アライの方がやっぱりお客さんを喜ばせてる部分があるので。でも僕はアライよりは断然強くて。で、10月の後楽園ホールでの試合は、アライの試合が断然盛り上がってて。僕はその大会で港(太郎)選手と対戦して完封してるんですけど、アライは判定で競り勝った試合だったんですけど、お客さんが沸いたのはアライの試合だったと。強いって何なんだろう、プロで格闘技をやるって何なんだろうって、その時僕なりにしっかり考えましたね。

そうですか・・・。あと、2002年で北岡選手に関係することで言えば、忘れちゃいけないのがウェルター級のベルトとランキングの新設ですね。
北岡悟:あぁ、そうですね。僕は3月(後楽園ホール)に大石(幸史)と対戦して脱落しちゃったんで(苦笑)。あの試合は僕の中では小一回戦だったと思ってるので。まぁ、國奥さんと伊藤さんと大石っていう、ちゃんと強い選手で(ベルトを)獲り合ったので、良い形でできてるとは思いますけど。まぁ、良いんじゃないですか。僕の目標なんで、しっかりあってほしいなと思います。あとは、例えば修斗だったら-76kgのミドル級があるわけですけど、そこに全然負けないようなものがこれからできてくると思うので。これからだと思うので、僕も頑張りますって感じですかね。

そのウェルター級とミドル級の両方のベルトを巻くっていう、國奥選手の2階級制覇もありました。
北岡悟:いや、すごいですよね。ん〜・・・2階級。まぁ、この年の年末(12月)にミドルの方は獲られちゃいますけどね。でも・・・まぁ、1つ言えるのは、みんな絞った方が良いって思いますね。体作りの面で。みんな結構、昔のプロレスの流れで、体を絞らずに大きくして試合するっていうのがあると思うんですよ。ismの選手には。でも他流派の選手は結構絞って出てくる人が多いし。例えば窪田(幸生)さんにしても、この年からミドル級に落としましたけど、なかなか勝てなくてっていう現実があるわけじゃないですか。そういうのがあるので、もっとみんな絞って出た方が良いと思いますよ。僕は絞って出てるんで。何でみんな同じようにしないんだろうって思いますけどね。その辺を含めて、認識の甘さっていうのがパンクラスの選手の中にはあると思いますけどね。

ん〜・・・。あの〜もう1つ、私の印象に残った出来事を挙げてもいいですか?
北岡悟:ハイ。

現在ミドル級ランキング1位の竹内(出)選手の登場(10月・後楽園ホール)ということなんですけど、パンクラス初戦で当時前ミドル級王者のネイサン・マーコート選手に勝利しました。あの一戦はどうご覧になりました? もちろん竹内選手のことはご存知だったと思いますけど。
北岡悟:あ〜っ、そうですね。いや、まぁ、ネイサンが勝つんじゃないかと思ってましたけど、竹内選手が勝つならこのパターンしかないなっていう感じのパターンをちゃんとやって勝ったって感じですね。竹内選手に限らず、他流派の選手でも、ちゃんとゲームメークして力振り絞ってやってるなっていうのはすごい感じますよね。ちゃんとやるべきことをやってきてリングに上がってるなって思うので。だから勝てたと。リングに上がる人はみんな強いし、更にそこから勝つというのはもっと難しいことですから。試合が面白い、面白くないっていうのはもちろんありますけど、プロ意識っていう言葉は僕はあまり好きではないんだけど、でもプロとしてっていう部分もあるし・・・。まぁ、格闘技で勝ちをもぎ取るっていうのはすごい大変なことで、勝負っていうのはそれだけ難しいことですから。確かに鈴木さんとライガー選手の試合のレベル云々っていうのはありますけど、その勝負に勝った鈴木さんっていうのは強いわけで、同じように山宮さんと郷野さんの試合で、ちゃんと凌ぎを削って勝った郷野さんは強いわけでって。勝負の重さっていう意味ではいろいろありますけど、やっぱり勝った選手は称えられるべきではないかと思います。

わかりました。では、これで2002年のお話も終了させていただきます。以上で、1998年から2002年までをざっと北岡選手に振り返っていただいたのですが、最後に1つだけ、これは是非北岡選手にお聞きしたいという出来事があります。2001年の山田学選手の引退です(5月・後楽園ホール)。パンクラス入門にあたり、非常に山田選手のお世話になったといわれる北岡選手に是非この出来事についてお話しいただきたい思います。
北岡悟:そうですね。まぁ、これは1994年の話題の時(前編)にもお話ししましたけど、やっぱり引退の時にあれだけいろんな選手が集まってくれたという、それがやっぱり大きいんじゃないかなって思うんですよね。で、・・・いやぁ、なかなか言えないですよね(苦笑)。これ、難しいですよ。


山田選手の引退のテンカウントをお聞きになってる時の心境はいかがでした?
北岡悟:ん〜、もっと一緒にいたかったとか、もっと一緒に練習したかったとかありましたけど、名古屋に行くっていうのが決まってましたし・・・。ん〜、感謝の気持ちでいっぱいでしたよね。(パンクラスに)入門してからも声をかけていただいて。・・・やっぱり言えないですよ(苦笑)。

では、初めてお会いした時の山田選手の印象を。どこで出会って、その時どういう話をしました?
北岡悟:パレストラで、山田さんが柔術のクラスに練習に来てるっていうことを聞いて、中井(祐樹)さんに「冷やかしで来ちゃダメだよ」って言われて、それで普通にスパーリングをしたんですけど、初めて見た山田さんはコーラを飲んでました(笑)。まぁ、普通にスパーリングしたりして。ちょうど体重を上げてらっしゃる時で、96kgぐらいあったと思いますけど、「大きいよ」とか言って気を使っていただきましたね。僕、当時70kgぐらいだったんで。

力とか感じました?
北岡悟:そうですね。でも、軽い選手とやる時はちゃんと力を抜いてやれる方なので。まぁ、普通に楽しくスパーリングした記憶がありますね。楽しいスパーリングができる人だなって思いました。
では、これで本当に最後になりますが、現在、山田さんも名古屋から東京にお戻りになって、巣鴨にご自分の施療院「B-PLUS(ビープラス)」を開院されて、更にP'sLAB東京で北岡選手と一緒に柔術クラスを指導してらっしゃいますので、改めてここで山田さんへのメッセージをお願いします。
北岡悟:ハイ。そうですね〜、まだまだ学びたいというか、そこにいていただくだけで僕は見て学びたいと思うことがいっぱいありますので、これからもよろしくお願いしますっていう感じですね。

わかりました。長い時間、本当にありがとうございました。