パンクラスの10年で印象に残る試合を3つ挙げて下さいと言うと、どの試合になるのでしょうか?
う〜ん、難しいですね。まず旗揚げ戦でしょ。あとはちょっと待ってくださいね……(しばし熟考)。どういう視点で見るかにもよるんですが、パンクラスに影響を与えた闘いということで選ぶと、旗揚げ戦(1993年9月・東京ベイNKホール)、船木vs鈴木戦(1994年10月・両国国技館)、船木vsヒクソン戦(2000年5月・東京ドーム)かな。他の視点で見るともっと他にもありそうな気もするけど…何だろう? う〜ん、でもやっぱりこの3つかなぁ…。この3つの試合の後にパンクラスは色々と区切りをつけてるんですよ。だから色々と変わってきてるんですね。例えば、船木vs鈴木戦って言うのは単なる二人が闘ったというだけではなくて、船木と鈴木がU.W.F.から引っ張ってきたものを切っているんですね。旗揚げで1度切ってはいるんですけど、これが2回目ですね。あの両国でプロレスラー船木とプロレスラー鈴木が消えたんですよ。で、船木vsヒクソン戦で言うならば、あの試合でパンクラスを創ったトップの選手が引退したんです。船木がパンクラスから離れるということで、残された選手とスタッフは大きな意識改革を行わないといけなかったんです。で、それと同時にお金が入らないっていう暗い暗〜い時代が来たわけですよ(笑)。ある意味、旗揚げより辛かったかもしれないですよ。旗揚げの時はまだお金はありましたから(笑)。

その敗戦を乗り越えてきた第二次パンクラスですが、先の4月の大会で大会数が120ちかくになりました。そこで今度は旗揚げ戦を除いた大会で、印象に残っているものに関してお聞きしたいのですが?
そうですね…。僕が、選手が壊れていくって危機意識を持ったのは1994年(5月)の武道館ですね。救急車を3台呼びました。高橋に冨宅、あと一人は誰だったかな。

船木選手が試合後のリングで「パンクラスは潰し合いじゃない!」って叫んだやつですよね。
そうです。あれで船木も僕と同じように危機感を持ったんですね。正直な話、あの時僕は「パンクラス続けていけるのかな?」って思いましたからね。高橋はこれで2年(試合に)出れなくなりましたしね。今と全く状況が違んですよね。と言うのも、選手がケガをしちゃうと試合が組めないんですよ(笑)。興行しないとお金は入ってこないし。でも出れる選手は限られてくるわけですよ。今だとウチの選手がケガで出れないってなっても外には沢山いるわけですよ。だからカードは組めるんです。あの当時は総合やってるっていう選手の絶対数が少なかったですからね。いやぁ、ホントきつかった(笑)。

あと、最後に今だから話せるっていうのはありますか?例えば実はあんな選手が来るはずだった、カードを組むはずだったとか。
分かりました。じゃぁ、ちょっと次までにまとめておきますよ(笑)。

楽しみにしてます。今日は長い時間お付き合いいただき、ありがとうございました。