11月30日、横浜文化体育館大会。
 佐々木有生にとって、この日はどんなものになるのだろうか。
佐々木はいま、「自分も菊田さんと同様に外へ向かっていかなければならない」と思っている。ちなみに外というのはパンクラスのリングで“身内の選手”と闘っているのではなく、PRIDEやUFCなどのリングに出て行って、強さを見せ付けなければならないという意味だ。
そういう気持ちがあって、11月30日の美濃輪育久戦がある。ということは佐々木にとって美濃輪は目の前にいる敵というだけのことであって、それ以上の何ものでもないのではないということか…。
美濃輪には、菊田さえも時間内に極めることが出来なかった“異常ともいえる”精神力がある。だが、佐々木は「やりにくいというわけではない」とハッキリという。 「確かに極めづらい。もう、いいやと普通なら思うところでも、絶対に折れなくて、全部、試合で出し切っているような気がします。だけど、いやらしいしつこさではないので、やりにくくはない。おそらく、いまの美濃輪さんよりも昔の美濃輪さんのほうが良かったと思いますよ」
 いまの美濃輪さんよりも…と佐々木は言う。
 最近の美濃輪については田村潔司戦を見れば分かる。飾りっけがなかった昔と比べるとその時の美濃輪は、明らかに自分を飾り立てたハリボテのようだった。飾り立てながら負けるとカッコ悪い。厳しい言い方をすれば負けたことでカッコ悪さの見本を見せてしまったと言っていい。確か、鈴木はそんな美濃輪について「ああすることで、自分の虚像をおおい隠そうとした」と苛烈な言葉を吐いたものだった。



 もう少し、佐々木に聞いてみよう。
「たぶん、選手というのは内から外に向かっていくもんだと思うんです。桜庭選手というのは、そうですよね。内から外へ。美濃輪さんは、そのバランスが崩れていたんじゃないですかね。内でちゃんとしてから外に行く。僕の場合は外がないから困っているんです(笑)。PRIDEなんかに出てみたいですよね。やっぱり、内にばかりやっていたら限界があると思うんですよ。外に出て行くことだと思う。出たいですね、外には。やっぱり出なきゃいけないもんだと思うし…」
ひと呼吸してから、こう言った。
「…だけど外に行くタイミングというのもあるし」
 ―なるほど、それじゃあ、今回の美濃輪戦というのは外に出るための絶好のタイミングなのかもしれない。
「たぶん。あと近藤さんも残っているけど、近藤さんがやれないのなら、美濃輪さんですね。実績として。逆に言えば、それで美濃輪さんが僕に勝ったら、美濃輪さんはこれまでのダメだった印象が帳消しになるんじゃないですか」
 佐々木は淡々と語っていく。
 練習をしていたり、こういう話をする時の佐々木は実に冷静だ。おそらく、自分のことを考える時、遊びにしても何にしてもすべてが格闘技という濾過紙を通して見ていているから、冷静になれるのだろう。
 佐々木の面白いところは、それ以外のところでは極端に呆(ほう)けているところだ。
たとえば、缶ジュースを飲もうとして自動販売機に100円玉を入れた。しかし、肝心の缶ジュースを取ることを忘れていて、そのまま戻ってきてしまう。
あるいは高田馬場の新宿スポーツセンターに行こうとして、自宅のある高円寺から中央線に乗った。新宿で山手線に乗り換えて高田馬場に行くのだが、乗り換えたつもりだった電車は、再び高円寺に向かっていて「高円寺」というアナウンスでハッと気づいた。
そんな具合で、練習や格闘技以外のところはあまり関心がない。
 こういう人間というのはパワーのバランスがいい。余計なところにパワーを使っていない。それだけに目標に向かうエネルギーは非常に大きくなるのである。
 いま、パンクラスはどうあらなければならないと思うか―。
 それを聞いてみた。なぜなら、最近のパンクラスの興行はアマチュア団体ような気がするからだ。おそらく佐々木も不本意なはずに違いない。
「自然にそういう流れになってきているんでしょうね。今、一番、中途半端ですね。その中で僕が出来ることは…僕はもっとプロフェッショナルな、勝つための集団として盛り上げていけたらいいなと思うくらいですかね。プロレスラーとか総合格闘家ではなく、勝つためにはどうすればいいのか。それだけに集中する。その中でプロとしてお客さんのことを考えていけばいいんです」
 明快だった。
 パンクラスは強さを売り物にして生まれた。その中でも秒殺は強さの売り物だった。だから人気が出た。
佐々木は、いま原点に戻るべきだという。その原点を目指し、佐々木は「美濃輪戦は最初からガンガンいく」とか。
現在、26歳。佐々木有生は、いま土台作りを懸命にやっている途中だという。