佐藤光留選手。みなさんは、どんなイメージを持っているでしょうか。メガネをかけてマントをなびかせ、スロットの曲で入場。身体は大きくないけど、ジョシュ・バーネットを倒すと宣言。HPの日記を見ると、ちょっと変わった人かも…。そんなイメージでしょうか。
 デビューしてから、いつの間にかもう5年がたちますが、佐藤選手のことって、知っているようでよく知らない気がします。今回は、そんな佐藤選手にお話をうかがってきました。
 佐藤選手は岡山県出身。ご両親、8歳年下の弟さんの4人家族です。ご両親は共働きをされていたので、小さい頃は1人で遊ぶことが多かったそう。でも、寂しくはありませんでした。なぜなら、佐藤選手は小さい頃から大のプロレス好き。保育園に入った頃から、佐藤選手の生活はプロレス中心に回っていました。
 学校から帰れば、すぐにビデオを見たり、深夜のプロレス放送を見たりして熱心に技を研究する毎日。お父さんの仕事が不規則だったり、お母さんの帰りが比較的遅かったこともあり、プロレスに没頭できる時間はふんだんにあったのです。好きなレスラーはビッグ・バン・ベイダーや獣神サンダー・ライガー。ひと味違う、超人的な闘いに心躍らせ、魅せられました。また、越中詩郎、スーパー・ストロング・マシン、田上明、大仁田厚といった、個性の光る選手も好きでした。既にこの頃から、人とは違うものを好む傾向ができていたのかも知れません。
 こうしてプロレス少年として成長していった佐藤選手。中学生になってからは、陸上部に入り、砲丸投げを始めました。同じやるなら、ちょっと変わったものをやりたかったのです。また、相撲では岡山県で3位に入賞しました。もちろん家では、あいかわらず「プロレスが生き甲斐」の毎日。
 そんな佐藤選手は、肉体に対する興味も人一倍あったようです。中学生にしてボディビルを始め、学校の水着でアマチュアの大会に出場。「ユニーク賞」を受賞したことも。
 「人とは同じことをしたくない」。
なにしろ、通学カバンには常に5kgの砲丸を入れて鍛えていたほどです。佐藤選手の中には、ずっと見続け、憧れ続けてきたプロレスラーのイメージがあったのでしょう。
 高校ではレスリング部に入部。練習に励む日々でしたが、パンクラス入りのきっかけとなる2つの出会いがありました。1つは『船木誠勝のハイブリッド肉体改造法』。
 この本には、これまでのトレーニングとは全く違うことが書いてありました。今でこそ、食事法などの知識は広く行き渡っていますが、この本が出た当時は、全く知られていなかったのです。
 プロレスラーとも、ボディビルダーとも違う、洗練されたパンクラシストたちの肉体。
 「とにかく衝撃でした。あんな身体、見たことありませんでしたから。船木さんが、身体を大きくしようとして努力する姿にも共感できました。あの本を読んでからは、もう鶏のささみばっかり食ってました」
 この本をきっかけに佐藤選手はパンクラスを見るようになりました。
 2つめの出会いは、美濃輪育久選手でした。96年12月、『冴夢来プロジェクト』での菅沼修戦(岡山県体育館)。現在はパンクラスを離れ、『PRIDE』で活躍している美濃輪選手ですが、当時から「熱い男」。その白熱した試合、チョークスリーパーでの1本勝ち…
 「これだ!」
 初めて生で見る総合格闘技の衝撃も加わって、佐藤選手はパンクラス入りを決意したのです。
 思い立ったら、何がなんでも絶対に実現させたい。絶対にあきらめない。それが光留流です。最初の入門テストでは、残念ながら不合格。しかし、99年5月、名古屋での入門テストに合格。
パンクラスから「いつから来られる?」と聞かれ、他の奴と差をつけなくては、と思った佐藤選手は「今日から行きます!」と答えたそうです。
(見てろよ、美濃輪育久。美濃輪さんが持ち上げたことのない重さの奴を、俺は必ずぶん投げてやる!)
 あれから5年。今、佐藤選手は、P's LABでの指導と自分の練習とで、休日やプライベートな時間は、ほとんどありません。練習はパンクラスの道場のみ。出稽古はしません。また、他団体での試合も、ほとんどしません。そこにはパンクラスへの強い思いがあります。佐藤選手にとっては、パンクラスの中に全てがあるからです。
 「今あることが当たり前、というのはよくないと思います。たとえば、空想科学ってありますけど、これって、科学が先にあるんじゃなくて、空想が先にあるんです。まず空想があって、それに追いつくために科学が発達したんですよ。それと同じで、僕も、今のパンクラスの流れにただ乗っているんじゃなくて、いろんなものを覆していきたいと思うんです」
 佐藤選手がなぜ無差別級にこだわるのか、その答えはここにありそう。
考えてみれば、もともとパンクラスは、従来の常識を覆した団体だったはず。まだ「総合格闘技」という言葉もなかった時代に、それまで誰も見たこともなかった肉体で、見たことのなかった闘いをしていました。既成の概念をことごとく覆してきた団体、それがパンクラスだったのです。
 総合格闘技が広く認知され、階級制が当たり前になった今、佐藤選手は無差別級で闘うことによって、そんなパンクラスの精神を体現しようとしているのではないでしょうか。
 それは、佐藤選手が、旧横浜道場を知っている最後の世代であることと無関係ではないでしょう。格好悪いほどボロボロになって、必死になって、でもそのボロボロの姿こそが格好いい。そういう姿を見せながら、ひとつの目的に向かって進んでいく。あの古い道場で、佐藤選手はそういう精神を培ってきたのでしょう。
 佐藤選手はこう言います。
「人の気持ちに限界はない」
大切なのは、どれだけ本気かということ。あきらめない気持ちだということ。それが佐藤選手がパンクラスで学んできたことであり、光留的美学なのです。