さて、選手になることを諦め、レフェリーに転向した梅木さんですが、レフェリングは、もっぱら鈴木みのる選手にスパーリングの中で教わりました。まず、声を出すこと。大きな声で指示を出さなくては、試合に没頭している選手にわかりませんし、観客にも伝わりません。また、見えにくい反則、まぎらわしい行動など、試合の中で気をつけるべきことを徹底的に教わったといいます。
「鈴木さんは厳しかったですね。でも、すごく感謝しています。レフェリングなんて何もわからない。選手として試合もしていなかったわけですから。でも、レフェリーとして大切なことは、全て教わりました」
 また、レフェリーには何より体力が必要です。だから、梅木レフェリーは選手たちと一緒に、ずっとトレーニングを続けていきました。
 そして迎えた1996年7月22日、後楽園ホール。この日の第1試合・渋谷修身VS金宗王が、レフェリーとしてのデビュー戦でした。0分49秒、スリーパーホールドで渋谷選手の1本勝ち。気づいたら、渋谷選手の腕を上げていました。
「もう、無我夢中でしたね。会場の雰囲気に呑まれてしまって、何も覚えてないです」
 こうして、梅木レフェリーの新しい格闘技人生が始まったのです。
 しかし、始めてみると、レフェリーは大変な仕事でした。ブレイクやストップのタイミングが悪ければ、試合は台無しになってしまいます。また、選手の身体を考え、ケガや事故のないよう試合を進行しなくてはなりません。どんな局面においても、状況を最も素早く適正に判断しなくてはならず、その上、見ている人の判断は千差万別です。その責任の重さ。
 練習生時代には、言われたことをただこなすだけでした。でも、レフェリーはそうはいきません。レフェリーが裁かなければ、決して試合は成り立たないのですから。頭をフル回転させ、悩みながら、必死でレフェリングしてきました。

 今、梅木レフェリーの活動の場はパンクラスだけでなく、他団体へも広がっています
「いろいろな団体さんから声をかけていただいて光栄です。昔は、よその団体なんて別世界で、レフェリングをしたいとか、そういう考えさえも浮かびませんでしたから」
 レフェリングしている団体はDEEPやZST、D.O.G、DEMOLITION、SMACKGIRL、全日本キックボクシングなど多数にのぼり、このごろは、梅木レフェリーの姿を見ない団体の方が少ないくらいではないでしょうか。
 また、昨年(05年)はK-1やHERO'Sという大舞台でのレフェリングも経験しました。中、小会場とは全く違う大会場の雰囲気。足がすくみました。
「それなりに経験を積んできたつもりでしたけど、全然違いましたね。デッカイ会場で何万という人の目にさらされる、そのプレッシャーと言ったら…。さらに、テレビで何十万という人の目に触れるわけですから。それに、大きい大会になればなるほど、格闘技をあまり知らない人が見る確率も高くなりますよね。ヘタすれば、格闘技そのものの印象を悪くしてしまうかも知れない。ものすごい責任を感じました」
 大きな会場。怒濤のような声援、熱気。プレッシャーに押しつぶされそうでした。でも、自分はレフェリーだ、何があっても、試合を進めなくてはならない。とにかく集中しなくては。
 いざリングに上がってみると、周りを気にしている余裕はありませんでした。
「いろいろ悩みながらやってきましたけど、これで吹っ切れましたね。何万人、何十万人もの人を、1人残らず納得させることなんて無理だと割り切れたんです。まだまだ下積みなんで、本当に勉強になりました」
 レフェリーに最も大切なことは、リングの上で、いかに自分を信じられるかということです。周りの反応に左右されず、意志を強くもって試合を進行させなくてはなりません。また、それができるレフェリーが信頼されるレフェリーです。だからこそ、経験豊富な人材が求められるのでしょう。選手との信頼関係、主催者側との信頼関係、そして観客との信頼関係…レフェリーがリングに立つ時、背負うもののなんと大きいことか。
「オファーがいただけるうちは、信頼していただけているのかなと思っています。でも、レフェリーって仕事は、人にはあんまりお勧めできませんね(笑)」

 さて、梅木レフェリーにはもうひとつの顔があります。それは、P'sLABのインストラクターとしての顔です。
 多くの会員たちに教えることは、梅木レフェリーにとって、かつての自分を見つめ直す機会にもなりました。選手になるためには何が必要だったのか、自分には何が足りなかったのか。それは、人に教えるようになって初めてわかったことでした。また、もともと教員志望だった梅木レフェリーには、人に教えることは向いていたのかも知れません。
 さて、いろいろな会員が集まる中、アマチュアパンクラス・オープンや、トーナメントだけでは収まりきらない選手たちが出てきました。アマチュアパンクラスよりは上だけれど、まだプロには届かない。でも、もう少し頑張れば、もっと上を狙える。そういった選手たちが出てくるようになってきたのです。
 しかし、アマチュアパンクラスでは顔面を殴ることができません。また、パンクラスにおいては、年1回のアマチュアパンクラス・オープントーナメントで優勝しなくては、プロになるチャンスが開かれませんでした。これでは、有望な選手たちがよそに流れて行ってしまいます。
 そこで、梅木レフェリーはパンクラス・ゲート×2を始めました。既にパンクラス・ゲートがおこなわれていましたが、もうひとつ下に階層を作ることで、アマチュア選手たちが無理をせず、段階を踏んで上を目指せるシステムを作ったのです。
 パンクラス・ゲート×2は、偶数月に広尾のP'sLAB東京でおこなわれ、多くのアマチュア選手たちが凌ぎを削っています。アマチュアにとって、きちんとしたリングで試合をする機会は、そう多くはありません。
「大きな会場ではないですけど、それでも、人前での試合ってなかなかできない。勝つことも大事ですけど、とにかく試合経験を積んでほしい。やはり練習と試合は全然違いますから」と梅木レフェリーは言います。
 開催は日曜日なので、他の大会と重なることも多くなります。それでもずっと続けているのは、頑張っているアマチュア選手たちに少しでも機会を与えたい、成長する道筋をつけてあげたいという思いからなのです。梅木レフェリーのそんな熱い思いが伝わってか、回を重ねるごとに、ゲート×2に思い入れを持って参加する選手も増えてきているようです。そういう選手が上に上がってくれば、パンクラスに愛着を持って盛り上げていってくれるのではないでしょうか。
 ゲート×2は、DJ.taiki選手や井上学選手など、パンクラス本戦で結果を出せる選手を輩出してきました。また、P'sLABからも、志田幹選手や、今年のネオブラッド・トーナメントに勝ち残った本田朝樹選手など、頭角をあらわす選手が出てきています。これは、パンクラスを活性化するという意味で大きな役割を果たしてきたと言えるでしょう。外からも内からも刺激を受けることで、パンクラス全体がさらに盛り上がっていけば、これほど楽しみなことはありません。

 きっかけは残念な出来事でしたが、梅木レフェリーは、そのおかげで天職というものに巡り会ったのかも知れません。デビューから、この7月で10年。あっという間でしたが、レフェリーとして、またインストラクターとして選手たちを見つめることによって、自分自身も成長してきました。
 節目の年は、新しい出発でもあります。もう迷うことはありません。梅木レフェリーは、パンクラスにとって、また、格闘技界にとってますます重要な存在となっていくでしょう。