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■ 國奥麒樹真選手、パンクラス退団について
船木氏、稲垣氏、プロレスに移動している鈴木選手、冨宅選手、そして今回の國奥選手。旗揚げメンバーの路線変更、そういう様なものがまた1つ続いて、旗揚げ戦のNKホールでカーテンが引き上がり、そこに男達が立っていた、NKホールに浮かび上がったシルエットがまた1つ消えたのかなというところでの複雑な思いはあります。私はパンクラスで退団記者会見が行われた日に、國奥選手と30分程話しをする時間があったので、そこで色々と意志の確認をしました。これは勘違いしていただいてはいけないのですが、國奥選手が本来の挌闘家であるからこその退団、本来のパンクラシストであるからこその退団です。そういう意味では國奥選手は、完全100%の、藤原組の練習生ではありましたが、本当の旗揚げメンバーとしての、パンクラシストの培養された、1つの形です。
その後に近藤選手、渋谷選手、梅木レフェリーといった、100%ピュアーな人達が入って来ましたが、ここでやはり境目、段階があります。これは何かというと、自分で団体を創ったという事と、既存の所に感銘して入ったという、受け皿があるところと、受け皿を作ったというところの意志の感覚というのは若干違います。どちらが良いという事ではありません。そういう意味では、自分に対して、パイオニアというのは、より我がままです。色々な団体がありますが、どちらかというとパンクラスというのは、ビジネス色がありません。これは尾崎社長の人間性がありますが、選手の気持ち、男としたらどうなんだという、精神性みたいなものを凄く反映させて、パンクラスはそこから立ち上げて、出て来た団体です。ですから経営サイドで収支のバランスを計算して、どうやって団体を立ち上げるかという事は、どちらかというと、それが有りきで選手が集まって来るというのが普通ですが、そうではありません。
10年以上経ち、國奥選手は自分の意思で、闘いの場を、もっと自分の力を試す為に、野球で言うフリーエージェント権を発動しました、という事だと私は思っていますし、当日そういう言葉を交わしました。自分が後悔しない為に、自分が決めて、求める物を得たいという事です。色々な物を見聞きして、これだけ情報がありますから、こういう世の中で、自分に合ったモノを選択しないと後悔するという、これははからずしも、20年前にもなろうかという昔に、船木誠勝が新日本プロレスに、お母さんの反対を押し切り、入団するプロセスに正に似ています。そういう意味ではパンクラスの秘蔵子が、パンクラスらしく次の歩を向けるという事です。私は5〜6年程前に治療の事等、色々なタイミングで近藤選手と、それから國奥選手を呼んで、3人で話しをした時に、君達2人が担う次代、自分達らしくパンクラスを支えて行く時代2人に課せられるから、そのつもりで今後練習もして、試合をしないといけないよ、という話しをしました。そして彼等はきちんとそれを遂行する中で、パンクラスという看板を守りながら、歩を前に進む道を選んだ近藤選手と、パンクラスのベルトを2本も巻いてみたら、それを守ったり、その責任の重さ等に、ちょっと自分のやりたい事が疎かになりつつある、手が届き難くなるという所での、色々な葛藤みたいなものを持って、自分自身の意思のみで、闘いを決定してみたいというところで、國奥選手が道を選ぶという事は、退団するという事ではなく、パンクラシストとして当たり前の事だと私は思います。そういう意味では、きっちりと教育されて来たからこその一つの結果かも知れません。
これは國奥選手にも話しましたが、実は私もそうです。私も武道、武士道というものを10代、20代という中で教育されてきた人間です。その中に、自分が正しいと思った事、自分が選択すべきだと判断したものは、親も子も、自分の師匠さえも、その前に立ちはだかったら刀を抜いて闘わなくてはならない。これは武士の厳しい世界です。だから、そういう厳しい教えを本当に守ると、最終的には自分の師匠と絶対闘わなくてはなりません。もしくは自分の師匠を乗り越えて行ったり、自分の師匠と道を違わなくてはならないのが武士道の本当の道です。喧嘩別れするとか、そういう事ではなく、目指すものが1点あるなら、そこに歩く道というのは無数にあります。それは自分で選ばなくてはならないといのが修行者の道です。格闘家、ファイターとしての國奥 麒樹真ではなくて、武道家としての國奥 麒樹真というものが目を覚ましてしまいました。その為に自分の道を選ばなくてはいられなくなりました。これがPANCRASEISMです。今残った、パンクラスism、パンクラスの選手、自分達もそうなるのかと言ったら、そうではありません。やはりそれはファイターと武道家というものの本質的な差です。これは、彼が物心が形成される前の15、16才の、20才前の段階から、そういうシビアなところに、ずっと苦労をして、そして彼の1番良いところは、それを斜に見なかった事です。斜に構えてものを見ませんでした。全部正面から受け止めて、24時間を受け止めた事に対してのリアクションでずっと埋めて来て、10年間を過して来ました。そういう意味では本質的なFA宣言という風に考えてもらえると良いと思います。
私はパンクラスと契約をしていますが、基本的に私はそういう人達の味方をしたいと思います。私達の道場には、色々な団体、色んな種目の人達が来ますが、そこに分け隔てはありません。國奥選手と今後も私達の関係は変らないという話しをしたら、「彼は良いんですか?それで」と言うので、良いに決まっているという話しをしたら、では「宜しくお願いします」という話しを交わしました。応援できる事、私が必要な時には、ちゃんと声をかけるんだよと、そういう意味の、私としては何か自分の後輩の様な気持ちが、今回凄くしました。この様な区切りを付けて行くという事自体が、何か自分の人生とオーバーラップしたところがあって、悲しくて淋しくもありますが、頼もしくて、ある意味羨ましい、懐かしい思いでした。
パンクラスを退団する選手はいますが、これはパンクラスに限りませんけど、ちゃんと社長と同席をして退団記者会見という形で、最後の最後まで句読点をきちんと打ち、次のステップに上がる選手はそう中々いません。うやむやになってしまったり、知らない間に、という御時世になってますから、そういう意味では、最後の最後まで彼はきちんとした人間だったと思うし、縁があればまたパンクラスのリングに上がるだろうし、私はパンクラスらしい選手が世の中にまた旅立つんですねと、きちんと送り出してあげたい、そんな気持ちの國奥選手の退団でした。
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