第8試合 初代ウェルター級王者決定トーナメント決勝/5分2ラウンド
×伊藤崇文(1R 4分59秒、腕ひしぎ十字かため)國奥麒樹真○

お互い初のタイトリストとして、デビュー当時、思い起こせば伊藤君もネオブラッドで天才と言われました。身長差20cm弱、体重差20kg以上あったと思います。その差をかいま見て、柳澤龍志選手と決勝でそのスピードとテクニックで翻弄してネオブラッドのタイトルを取ったその伊藤崇文がこの日帰ってくるのか?ネオブラッドの日に二度目の栄光を掴み天才復活となるのか?それともUFCを念頭に今年の國奥選手は全ての練習と全ての試合に臨んでいるんですが、パンクラスの2本のベルトを腰に巻いて、そしてそれを土産にUFCにどうしても参戦するんだと、参戦させて下さいではなく、参戦して下さいという形でUFCに乗り込むんだという、その男の意地がこの決勝には僕はあったと思います。どちらが勝ったとしても、なるべくしてなったという男の姿がそのリング上にあるだろうなと、そんな思いを頭に置いてこの試合を僕はさばきました。

4分59秒というところに僕は全てが集約されたような気がします。試合後、後1秒じゃないかと肘のケアをしながら、伊藤選手に話したら、4分59秒だったんですか?と本当に身もだえしながら悔しがっていました。でも彼いわく、それが関節技なんですよと言ってました。何でヒロトさんレフリングしながら教えてくれないの?(笑)と言っても教えるわけありませんが、時間が例え後1秒だったとしても、きっちり決まった関節は絶対に耐ええることは出来ません。例え1秒耐えてゴングに救われたとしても2R目開始の時には腕は動かないと思います。そこで勝負あった!なんです。そういうところの勝負の厳しさ、そういうものも含めて、この試合はやはりお互い前に前に出て行く絶対に引かない何とかして自分の優位な形に持って行こうという本当に肉を切らして骨を立つような試合でした。

試合は開始そうそう低いタックルから伊藤選手のお株を奪う形で、当然打撃で入ってくると思った國奥選手が伊藤選手にスタンドレスリングを仕掛けて行きます。それが運悪く伊藤選手の肘に当たって國奥選手の頭がちょっと切れてしまいます。切れた傷の部分が擦れる前に確認したら、そんなに広くなかったので、少し血が出るだろうなと思いつつも試合は流しました。かたや頭から血を流し、そして次の展開で立ち上がった両者は伊藤君は鼻から血を流し、パンクラスはスポーツライクに試合をしていますが、それを飛び越えた一人の男と男の闘いというような、そんな様相まで見せてくれる厳しい試合でした。その中で、一つ國奥選手凄いなと思ったのは、昨年ミドル級が設定されるという前提をした時に、僕は國奥選手に一つ注文を出しました。どんなところからでも、どんな立場からでも自分が良いコンディションで立つ事が出来ていれば、細かいパンチというのは絶対打てるし、相手を征しながら、離れたり付いたりという中、もしくはお互い組み合っている中でも必ず自分の体の中に自由になる場所があるから、その場所を上手く使って、常に相手に細かい打撃を与えて行くことも総合の中では打つべき時に打つだけではない世界があるんだという話を実はした事がありました。今回は序盤から國奥選手はそれを使いまくります。この短期間でそれをよく習得してきたなと思います。彼は言われた事に耳を貸してそれを決して忘れません。それは近藤選手にも言えるし國奥選手にも言えます。寡黙な國奥選手がUFCに出たいと口にだしていうんだから本当なんだなというのが裏づけされた試合でした。

これは最後の余談ですが、今回、國奥選手が試合が終わり、あらかた選手が帰った後、一番最後に控え室で着替えをしていました。僕達は仕事が仕事なので最後の選手の伊藤選手のケアをして一番最後に帰るんですが、そこで國奥選手とちょっと顔を合わせて良くやったね、という話をしていました。その時に僕が言ったんですが実は数年前に國奥選手に今後のパンクラスを背負うのは鈴木みのると船木誠勝の役目を國奥と近藤が担っていく位の気持ちでやらなければいけないよと、それは近藤君にも約束したし國奥君にも約束をしました。そして今回、午前中に近藤君が最後の最後で僕との約束を守り、夜は最後の最後で國奥君が僕との約束を守ってくれたね、ますますもってがんばるようにと、そういう話を國奥選手にしました。彼は力強く手を握って握手をしました。その力強さが今日の國奥君はパンクラスのリングではなく一足速くUFCのケージの中で闘っている姿に見えました。やはり今回は自分に対しての欲という物をあからさまにして、そして日々努力をして、その努力の方法がリングの中で光を放つという若さの象徴をこの28日の後楽園ホールで僕は見せてもらいました。ややもすれば年齢という一つの積み重ね、もう30だ40だ、もう25を過ぎたとかいう一般的な年齢の数で人間は自分のいる位置を決め付けてしまう傾向にあるけれども、自分に対しての欲、目標が高ければ高いほど年齢など関係無く自分を奮い起こして努力をすべきものが、そしてそれが一つの形になりつつあるときに人間は光輝くんだという事を僕は教えられました。そんな後楽園ホールでした。