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■ 第6試合 ミドル級戦/5分2R 【稲垣克臣 引退試合】
×稲垣克臣(1R 4分10秒、ギブアップ/チョークスリーパー) 國奥麒樹真○
稲垣 克臣 『引退試合』です。ミドル級の契約で行われました。まず、この試合で素晴らしいと思うのは、稲垣克臣という人間がこのマッチメークに生きていたという事です。稲垣選手は通常は94kgあります。94kgの稲垣選手が引退試合を決めて、その対戦相手に、パンクラスの前身であるところの団体での練習生仲間、将来は一緒にリングでプロデビューしてがんばろうぜと言っていた國奥選手を選びました。10年の時を経て、それが公式のリングの上で行われる、それを自分の引退試合にしたいのだという稲垣選手の思いに対して、二つ返事で「やりましょう」という國奥選手がいました。引退試合だからということもあり、昔パンクラスは無差別級でやっていましたから、当然この対戦でも94kgの稲垣選手に対して82kgの國奥選手がいても、特に私の感覚からいったら普通の事です。ですが現行のルールで、稲垣選手は「僕は國奥選手のミドル級に落とす」と言って、実に12kgの減量を行いました。特に稲垣選手の場合は体脂肪が少なく、本当に無駄な筋肉がありません。そこから体重を12kg落とすというのは、太った人でさえ大変なのに、稲垣選手は本当に凄い事をしました。國奥選手は落とさなくても良いと言っているのに、引退試合だからこそ、自分のしてきた事を最後まで貫くんだという姿勢です。蓋を開けて見たら、國奥選手が81.7kg、稲垣選手の最終的な体重が81.4kg。稲垣選手の方が軽いという状況で当日を迎えました。稲垣選手に聞いたところによると、2ヶ月と3週間、試合までに減量をする時間があったそうです。その中で、体重は2ヵ月で落としたということです。減量中は見る度に体が小さくなると言うか、細くなっているので心配したのですが、残りの3週間をスタミナであるとか動きの中の瞬発であるとか、出力であるとか、そういうパフォーマンスに対しての調整期間にあてて試合に臨んで来ました。
私は色々な引退試合を見ていますが、自分の引退試合にこんなにストイックになっている奴は珍しいと思います。初めて見ました。これが稲垣克臣です。これが結果として、前田選手をはじめとするパンクラス大阪に生きているのだと思います。それが浪花の心意気、そういうものになっていったのだと思います。試合の方は、序盤に小さなパンチを駆使して少しづつ前に出ようとする稲垣選手に対して、フットワークを使いながら微妙に距離を変えて自分のチャンスを待つ國奥選手という緊張した中での試合でした。引退試合にこんなにストイックになっているのも珍しいのですが、こんなに緊張感のある引退試合も珍しいです。そんな中で國選手がテークダウンをとり、その後にしつこく体を入れ替える中でのチョークスリーパーという結末でした。パンクラスの10年前、東京ベイNKホールでの第1試合で行われ、鈴木みのるとの対戦だった稲垣克臣のデビュー戦。それも最終的にチョークスリーパーで稲垣選手が負けたのですが、最後の試合もチョークスリーパーでした。ですが、その差は大きかったと思います。チョークスリーパーに耐えて、どこまでも負けまいとする10年前の姿と、これで1本取られたと認めて、それを潔しとする今回の稲垣選手の姿。そこに10年間の時を経て、稲垣克臣という選手の器の大きさ、だてに闘ってきた男ではない、という事を感じました。
今回の試合には悲喜こもごも色々あったのですが、一つ感じた事は、第5、第6試合の4選手、佐々木選手はエリートかも知れませんが、それ以外の3選手、稲垣、國奥、渡辺の3選手は本当に練習生時代に苦労をしています。稲垣選手、國奥選手は練習の時に団体が無くなって、それぞれ先輩選手の自宅に居候をしながら、近くの多摩川の河原でグラウンドの練習をして、そのグラウンドの練習でというよりか、河原の石で体が血だらけになる方が痛かったという様な練習をしています。國奥選手はまた、デビュー戦までの練習生期間でパンクラスの最長記録を持っています。そして、練習生の間の度重なるケガで、退団も余儀無くされそうになり、引退勧告をうけそうになった渡辺選手。こういう選手達が、毎日本当にコツコツやってきて、悔しい思いをしたり、苦しい思いをしたり、痛い思いをしたりする中でも、自分の事をきちんと見て、やるべき事を妥協しないでやってきて、稲垣という男が引退する興行のセミとメインに名を連ねているという所に、私はパンクラスらしさ、本質を見たような気がします。稲垣選手に話を聞きましたが、試合というのはいつもと変らないけれども、今までと違う事が一つあったと言っていました。「この試合で色々な事を出し切りたい。自分で節目を作って、引退を自分が納得出来なければいけない。3月をだてに減量に費やしていません」。自分の体重を削ぎ落としていく過程で、現役に対する思いをどんどん削っていったと私は思います。今までの自分の試合の中で最も落ちついた気持ちで試合に臨めたとの事です。淡々と、周りの人が自分にこんなに良く気を配ってしてくれてるんだな、というようなことを試合直前まで感じながら、多くの人の気持ちを感じながら試合に臨む事が出来たという事です。しかしその中で、教え子の武重選手が第1試合でイビキをかいて、もしかしたらこのまま命を失ってしまうのではないかという世界を垣間見た時に、やはり自分のいるパンクラスのリングは死ぬかもしれないし、殺すかもしれないという、格闘技の本質も強く感じられて、襟を正して腹に力を入れた状態でリングに上がれたという事が凄く感慨深かった、というふうに語っていました。技術的な面ですが、國奥選手にテークダウンを取られる時に、通常ならばそのまま倒されてしまって終るんだろうけど、そういう中で冷静な分だけ、今は力を入れて踏ん張るところ、今は力を思い切り抜いて自分が次に何をするか準備するところ、地面に自分の体が落ちた時に、「さぁ、今は動くところ」というような、技術的なところでも、心が落ち着いていただけに練習でやっている事をリング上でできたという事です。そういう事一つ一つに、人間の内側のドラマがあり、そういう事がリングの上で表現できてくる。これは多分、彼が引退を決意してリングに上がる時に一番危惧した、やり残したくないな、選手として出し切る事ができたのかな、という事の答えの一つだと思います。こういう境地というのが、名人・達人の一番初めの入り方です。
試合はそういう形で終りましたが、試合後に國奥選手から“稲垣さん、これからですよ”と、そういうはなむけの言葉を呟かれた、もらったとの事です。試合前に鈴木選手がセコンドについていましたが、「悔いをのこすなよ!」と言ったそうです。稲垣選手はこれを最後の試合でクリアーしました。悔いを残さずに出し切って、そして「さぁ、次にあなたのやる事はこんなにあるじゃないですか。稲垣さんこれからですよ」というその言葉に背中をポンと押されて、試合が終って数日経つ稲垣組長は自分のポジションを確実に実感しながら、色々な人の言葉をエネルギーに、今、新しいスタートを切っていきました。稲垣組長の再スタートであるけれども、パンクラス大阪の本当の意味でのスタートの日が実はこの6月22日になったのではないかなと感じた、そんなステラホール大会でした。
最後に稲垣選手からもらった一言は、『ファンの皆さんの声援・応援が、本当にこの10年間、自分の力になっていました。感謝します』。これが彼から皆さんへの言葉です。
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