『Monthly interview』第5回目にご登場いただくのは、パンクラス生え抜き第1号選手として1995年1月にプロデビューしたパンクラスismの伊藤崇文選手です。え〜伊藤選手のプロデビューは1995年1月ですが、パンクラスに入門したのはその前年の1994年・・・
伊藤崇文:4月13日。5時半くらいです(笑)。夕方の。
旧・横浜道場ですよね・・・。それで、今年の9月でパンクラスは満10年を迎えるんですが、伊藤選手もこの世界に入って、もう10年近くということで、今回は伊藤選手個人のこの10年と、パンクラスという団体の10年、そして現在と今後の伊藤選手ご自身に関してお聞きしていきたい思います。
伊藤崇文:よろしくお願いします。



早速ですが、この10年をバクッと振り返ってみて、その感想を一言で言い表すとすると、どんな言葉になりますか?
伊藤崇文:早いですね。基本的に早かったのと、目をケガした時がオレの分岐点だったんで・・・

パンクラチオンマッチでのVSショニー・カーター戦(1999年11月・なみはやドーム)の時ですね。
伊藤崇文:そうですね。あの時からの方がそれ以前より充実してますね。それまでが充実してなかったかって言ったらそうじゃないんですけど、やっぱり迷いとか、どうしたらいいんやろな?っていうのが・・・。負けが込み始めた2年目(1996年)と、目をケガした年(1999年)は、“こうかな?”って言うのが結構わかりかけたんですけど、その間がちょっとふらついてたところがありましたね。気持ち的に。今は・・・毎年毎年、今の方が楽しい感じです。だから目をケガしたことが一番の大きな・・・あれがなかったら多分・・・終わってます。そう感じるんですけどね。

ん〜、伊藤選手はホントに山あり谷ありの選手生活を送ってきたと言うか・・・。デビューした年は凄かったじゃないですか?(※1995年の戦績=10戦7勝3敗、ネオブラッド・トーナメント優勝)
伊藤崇文:出だしは快調でしたね。ガーッって(上に)行って、それでガーッって落ちましたね。作戦通り(笑)。

なかなか勝てない時期もあったりして・・・。
伊藤崇文:ん〜そうですね、でもあった方が良いですね。

1994年4月のパンクラス入門以降で、伊藤選手の心に残った出来事ベスト3を挙げていただくとすると、どんなことになりますか? 伊藤選手個人に関することで。
伊藤崇文:そうですね・・・記憶に残る出来事っていう意味では、やっぱり入門した日ですよ。

それがベスト1?
伊藤崇文:順番はよう分からへん。どれが1番とかは・・・。でも、とにかく印象に残ってますね。「うわぁ、どうなるんやろな?」って。「プロレスラーになる」っていうすごい強い気持ちと、「オレってホント逃げて帰るんちゃうかな?」とかいう弱さとか、そんなのが入り混じってて。だってないでしょ? こういうことを経験するって。こういうことを2度経験するってことは、1回ケツ割ってるってことになるから、そういうふうにもなりたくないし。だからすごい記憶にあります。で、目をケガした時のことがもう1つ。

最初におっしゃってましたね。
伊藤崇文:で、もう1つ最近衝撃的だったのが、三島(☆ド根性ノ助)選手との試合(2000年9月・DEEP2001 大会)。強烈に残ってますね。だから3つ挙げるとすると、入門日のことと、目のことと、昨年9月のDEEP。

では、伊藤選手個人のことではなくて、パンクラスという団体全体の出来事で、伊藤選手の記憶に残っているものを3つ挙げていただくとするとどんなことがありますか?
伊藤崇文:ん〜まず東京と横浜、2つに分かれたことですかね。

1997年の夏頃のことですよね。それはどういう理由で印象に残ってます?
伊藤崇文:2つに分かれたことによって、当然人数が少なくなるじゃないですか。旧・横浜道場の。それで対抗戦っていうのがあって、急に敵に思えたから。東京が。パンクラスっていう1つの括りやけど、何か負けたくないっていう・・・。

新たにできた東京道場の方は、もちろんできたばかりで綺麗ですし、冷暖房も完備してましたけど、そういうことがその負けたくないっていう気持ちに影響したりしました?
伊藤崇文:いや、それは別に気にはならなかったですね。オレはここ(旧・横浜道場)がいいってずっと思って たから。

東京と横浜の2つに分かれるということを、伊藤選手はすんなり受け入れられました?
伊藤崇文:ん〜そんなにイヤっていうのはなかったですけど・・・何かちょっと他人っぽくなるのかな?っていうのはありましたね。東京の方に新しく入ってくる後輩(練習生)がいるじゃないですか? 基本的に一緒に生活する時間がほとんどないから、オレは人と話をするのが好きなんですけど、何か結構他人っぽかったかなって。自分の印象では。別に向こうがオレに接する態度じゃなくて。

2つに分かれたことで、やはり同門対決が闘いやすくなったんでしょうか?
伊藤崇文:そうですね。向こうがどんな練習をしているか見えないから。

では、あと2つ挙げていただけますか?
伊藤崇文:ん〜あと2つ・・・。アッ! 船木さんがヒクソンに負けたこと(2000年5月・コロシアム2000)。衝撃でしたね。


あの試合はどこでご覧になってました?
伊藤崇文:(東京ドームの)1階のリングサイドの近く。結構前の方で観てましたね。

その時の心境とか思い出せます?
伊藤崇文:(船木選手の)入場前はドキドキしてたのと、どうなるんだろう?って。勝つって確信は、勝ってほしいっていうのはあったけど、確信はないから。別にヒクソンが強いうんぬんっていうことじゃなくて。不安でしたね、それは。ホンマに不安でしたね。人の試合を観てて結構ドキドキしたっていうのは、意外とあれが、プロになってからだとそうでしたね。身内の試合って言えば身内の試合なんで、そうなるのは当然なんでしょうけど。

思い出せます? あの試合。
伊藤崇文:思い出せますよ、全然。

どのあたりからヤバイって思いました?
伊藤崇文:ヒクソンが1回下になってる時があったじゃないですか。あの時に船木さんがスタミナ切れてるのかな?って思った時にちょっとイヤな予感はしましたけど。イノキ-アリ状態で、船木さんが立って蹴ってる時ですね。何か結構、肩で息をしてるように見えたから、「あっ!ちょっとスタミナ切れてる」ってちょっとイヤな予感がしましたけど。一見、船木さんが優勢に見えたかもしれないけど、その時でも勝つって確信はなかったですね。

船木選手がスリーパーで意識を失っていく様子をどんな気持ちでご覧になってました?
伊藤崇文:あの時は、初めて見た船木さんの素の顔のような感じがしたんですよね。ん〜素の船木さんって言うか、弱々しい船木さんって言ったらおかしいんですけど・・・。見たことなかった船木さんだったから、ドキッとしましたね。だって、ルッテンに負けた時(1996年9月・東京ベイNKホール)だって、オレには弱々しく見えなかったから。自分には。何か見たことがない船木さんがいたなっていう感じたしたから。だから良い気分じゃなかったですね。悲しかったです。

試合後、船木選手が控え室に選手の皆さんを集めて引退発言をしましたけど、あの日の夜の、選手の皆さんの様子ってどういう感じだったんでしょう? 伊藤選手はどなたかと話をしました?
伊藤崇文:渋谷さんがオレの部屋に泊まったから、渋谷さんとは話をしましたけど・・・。ドームの控え室ではあんまり喋ってないですね。無言でしたね。ああいう雰囲気の状態ってあんまり良くないんでしょうけど。全員が暗いって。当然盛り上げた方が良いかなって思ったんですけど、さすがに声は出なかった。

渋谷選手とはどんな話を?
伊藤崇文:どうやって盛り返そうかなっていう話だったと思います。とにかく明日練習しようって答えしかなかったですね。いや、もうそれしかないんですよね。やっぱり。どうしようっていうビジョンがあって練習するのも良いと思うんですけど、とにかく体を動かして自分を落ち着かせるしかなかったですね。あの時は。あぁっ! それもありましたけど、オレ、ちょうどあの時は目をケガしてる時で・・・思い出しました。自分に必死でした。自分の目のことで。正直な感想です。船木さんが負けたのはすごいショックだったんですけど、オレは自分の選手生命の方が大事でしたらから。やっぱり。それはホントにマジで正直な、気持ち的な感想で言うと、1番が自分の目のことだったかも知れないですね。「頑張らなアカン」とかって話しましたけど、でも、その時(自分)は練習もできてなかったから、そんなことより「オレ、目を治さんと」って、すごい自分のことを考えてました。あの頃は、今以上に自分のことを考えてましたね。

では、あともう1つ挙げていただけますか?
伊藤崇文:ん〜今年じゃないですか? 今じゃないですかね?

現在のどんなことが?
伊藤崇文:鈴木さんが純プロレスの方にいくこととか、今年10周年のパンクラスの周りで起こっている出来事。