では、ここからは北岡選手も完全にリアルタイムでご覧になってらっしゃる1997年のお話を。リアルタイムでご覧になってるということなので、驚きとか、いろいろな感想があったと思うのですが?
北岡悟:そうですね。まぁ、パッと言うのであれば、この年の2月に高橋さんがU.F.C. (アメリカ、ドーサン)で勝ちました。これはもう、パンクラスのこの10年の前半で一番大きな出来事と言っても過言ではないことで、当時、そのやったことの大きさというのはもっともっと称えられても良いことだと思います。まぁ、高橋さんご本人としては、もう引っ張ってないと思うんですけど。ただ今振り返ってみても、それはスゴイことだと。賞賛されるべきことだと思います。あともう一つは、とって代わるように、もう一つのメジャーが誕生するということですね。PRIDEが。1997年10月11日ですね。入れ替わりじゃないんですけど、もう一つのガチンコのそういうのができたというのが大きかったのではないかなと。プロレスラーがガチンコをやる定期的な場所。他にもちょこちょこありましたけど、定期的にやるっていうのとは違うと思うので。プロレスラーがやるっていうのがポイントですよね。プロレスラーがやるっていうことによってメジャー感が生まれるっていうのがあると思うので。パンクラスはずっとそれをやり続けてきたことによって、逆にプロレスとは違う方向に進んできた部分があったかもしれないですね。


この年には船木選手と近藤選手の対戦が2回あって、4月(東京ベイNKホール)の対戦では近藤選手が勝利して、デビュー後僅か1年3ヵ月でベルトを巻いて話題になりましたが、このことに関してはどうご覧になってました?
北岡悟:ん〜そうですね・・・あんまりそればっかりには注目してなかったっていうのが事実ですね。当時、パンクラスを外から見ていた僕としては。だからその年の全部の試合の中でも、結構後ろの方にあるかも知れないです。だけどまぁ、当時メインに立つ難しさとかを一心に背負ってたっていうのは、当時まだ近藤さんも熟してない時にそれをやってたっていうのは、キツかっただろうなって思いますよね。近藤さんはホント苦労したと思います。で、あんまり良いようにも書かれなかったじゃないですか。まだまだだって。

そうですね。まぁ、高橋選手のU.F.C.での勝利という、北岡選手の中で非常に評価の高い出来事があった1997年ですが・・・
北岡悟:そうですね。パンクラスの歴史の中でも3本の指に入る出来事だと思いますね。対戦相手のヴァリッジ・イズマイウも、当時ちゃんと評価されている選手だったから、そういう選手にキチンと勝ったっていうのはデカいことだなと思います。あと、技術的にもボクシングをやってタックルを切ってっていうのが、その寝技拒否的スタイルっていうのをやりこなしたっていうのが、やっぱり先見の明もあるし、そこに洗練されたものを感じますよね。プロフェッショナルとして。