前回に引き続きパンクラスismの北岡 悟選手。『北岡サトルッテンの格闘徒然草』が好評の北岡選手ですが、ismNo.1と言っても過言ではない格闘技通にして、知る人ぞ知る辛口格闘技評論家の一面も。そんな北岡選手に、前編(1993年〜1997年)に続いて1998年〜2002年までのパンクラスを各年ごとに語っていただき、その年その年で北岡選手の印象に残った出来事などについてお話をうかがいました。


では、1997年に引き続き1998年についてお聞きしていきます。
北岡悟:確かパンクラチオンマッチが年末からはじまったんですよ(12月・東京ベイNKホール)。それで、本道の部分ではガイ・メッツァーが活躍した年ですよね。

そうです、そうです。この年、北岡選手の1番記憶に残っている出来事は、やっぱり今1番目に出てきたパンクラチオンマッチですか?
北岡悟:パンクラチオンマッチも、まぁアレだったんですけど、それよりもこの年からすごい判定が多くなってきたんですよね。メチャメチャ。もうこの年は生で観てるんですけど。

会場で?
北岡悟:会場でほとんど観てますね。

とおっしゃいますと、もう上京してました?
北岡悟:ハイ。上京してましたね。5月ぐらいから。ん〜、結局ガイ・メッツァーにしてもそうだけど、レスリングがしっかり強くて、打撃が強いっていうのでもう、それで勝っちゃうって感じですよね。関節技ができなくても。関節技はとられないから。それで日本人選手はフィジカルの部分で負けてるから、打撃で打ち勝てなくて、レスリングでも負けてって。1月(後楽園ホール)に鈴木さんがセーム・シュルトと対戦して、鈴木さんはテイクダウンして1回腕ひしぎ十字固めを極めたんですけど、ロープに逃げられて。で、その後の打撃(膝蹴り)で勝負が決まって。それにしても、もうリングの中央でバチッて極めれないっていう、そこまでの差がないってことですよね。そういう場面が出てきて。まぁ、簡単に言うと、ちょっと時代から取り残されかけてきてる時ですよね。


その時代っていうのは?
北岡悟:『PRIDE』が2、3、4とあって、桜庭(和志)選手とかが出てきてて、ルール的にも中途半端なところにあったと。掌底で、まだロープエスケープもあってっていうので。結局、総合格闘技のセオリーを守ってカチッとやる選手、ガイ・メッツァーがそうだったと思うんですけど、そういう選手に勝てなかったということですよね。船木(誠勝)さんも柳澤(龍志)さんも近藤(有己)さんも勝てなかったと。セーム・シュルトだけポロッて勝ったんですけどね。

(6月)神戸でのノンタイトル戦でした。
北岡悟:そうですね。だから結局そういうのもあるから、強くなるためにパンクラチオンマッチをやろうってことだと思うんですけどね。印象に残ってる試合で言えば、単純に高橋(義生)さんと鈴木(みのる)さんの試合(9月・日本武道館)ですね。1番印象に残ってるのは。わかりやすいのと・・・いろんなものがありますよね。2人の歴史とか、培ってきた技術だとか。強い弱いももちろんあるけど、それ以上にプロとして持ってるものの違いとかがはっきりリングで見えたっていうのが面白さだとは思いますけどね。まぁ、残酷だということでもあると思いますけど。あと、デビュー戦でバス・ルッテンと対戦(9月・日本武道館)した謙吾さんに関しては、当時僕は客席で観てたんですけど、今思えば、きっとすごい頑張って挑んだんだろうなって思いますよね。もちろん当時の練習とかを見てないからわからないですけど、その2年後に出会って、練習とかをしてるのを見て、そこから逆算して考えると、やっぱりすごいちゃんと身体とかも仕上げて、技術的にも(入門してからの)半年ですごい頑張って、追い込んで挑んだんだと思いますよね。確かに僅か数分で負けたわけですけど、お客さんがあれだけ盛り上がって、あの試合に満足して、「やるじゃん。面白いじゃん。」って思ったのは、やっぱり謙吾さんの努力の賜物だなと思います。

では、北岡選手はこの年に上京して何をしてました?
北岡悟:柔術ですよね。パレストラでやってました。だから、より寝技のこととかもわかるようになってきてますよね。柔道だけやってた時より。だから、パンクラチオンマッチをはじめた時も、このまま続けていくのであれば、きっとより本戦の方もこのルールに近づいていくなって思ってましたよね。ただまぁ、掌底でやるからこそ意味があるんだろうなって思ってましたけど。

それがパンクラスだと。
北岡悟:はい。

パンクラチオンマッチを初めて観た時の印象はいかがでした?
北岡悟:これはもう、山宮(恵一郎)さんとジェレミー・ホーンの試合につきますよね。ジェレミー・ホーンっていうのは、当時もうちゃんと評価の高い選手だったので。はっきり言ってジョン・ローバーとかジョン・レンケンより強い選手ですから。結局あの試合はジェレミー・ホーンがガードをとって、山宮さんが上で攻め切れずって内容だったんですけど、僕は判定を付けるとすれば山宮さんの勝ちだと思ってるので。まぁ、判定なしのルールだったからドローでしたけど。山宮さんは強さを見せれてると全然思うので、世界的な流れから見て、ボクシングでいって上をとってっていうのは、当時としては間違ってなかったと思うし。僕は山宮さんはすごい強いなとは思いましたけど、当時マスコミからはあんまり評価されませんでしたよね。ちょっとまぁ、おかしな話だなとは思いますけど(苦笑)。さっきの謙吾さんの話に通じますけど、ちゃんと勝つために一生懸命やってるようなイメージがありましたね。外から観てて。アップライト気味のボクシングの構えで、現在の山宮さんのスタイルに通じますけど、タックルをきってっていうスタイルで。

では、1998年のまとめということで、この年を北岡選手流にまとめるとすると、この年はパンクラスにとってどんな年だったのでしょうか?
北岡悟:ん〜、難しいですよね(笑)。結構まぁ、停滞を打ち破るためにパンクラチオンマッチをやったと。そういうことだと思うんですよね。きっとお客さんは、当時チャンピオンのガイ・メッツァーの試合を観てつまんなくなってきてるだろうから、スカッとした試合を観せましょうということで、極端な試合をやったと。そういうことかなとは思いますけど。

当時もそれを感じてました?
北岡悟:そうですね。それは思いましたね。あと、『PRIDE』とかもあって。結構、『修斗』とかも元気があった時ですよね。『ヴァーリ・トゥード・ジャパン』とか盛り上がってた年だし。そういうのがあったんだとは思いますよね。『PRIDE』では2度目の高田VSヒクソン戦があった年だし。絶対外のこととかもあったと思うんですよね。