わかりました。では、次です。2000年です。北岡選手がパンクラスに入団した年になります。この年で1番大きな出来事と言えば、やはり5月(26日)の船木VSヒクソン・グレイシー戦であり、年末に船木選手が引退したことだと思います。
北岡悟:そうですね。

その船木VSヒクソン戦のちょっと前に北岡選手がパンクラスに入団したと。
北岡悟:ハイ。

北岡選手のパンクラス入団1年目のこの年で、何か特に印象に残っていることがあればお願いします。
北岡悟:ん〜、もちろん船木さんとヒクソンの試合は大きな出来事ですよね。それ以前とそれ以後のパンクラスはまた違うと思いますし。まぁ、(オープンフィンガー)グローブと階級制になって、ランキングトーナメントっていうのをやったんですけど、このランキングトーナメントに他流派の選手がいっぱいパンクラスのリングに上がったことによって、(パンクラスの)敷居っていうのは一気に下がりましたよね。6月以降。で、憧れのリングから身近なリングになったっていうのが現実としてあると思いますね。まぁ、実際僕も練習生としてパンクラスにいて、6月や7月の大会を観て、「これなら俺もじきにリングに上がることは有り得るな」って思いましたからね。まぁ、現実に10月(後楽園ホール)にデビューするわけですけど(笑)。

この年の『ネオブラッド・トーナメント』は星野勇二選手(和術慧舟會GODS)が優勝してますよね。
北岡悟:まぁ、実際この時は星野選手のことを誰も知らなかったと思うので。そういう知らない選手でもこういうことが全然できて、強い人がいるっていう現実。そういうのがあるってことですよね。


あと、この年に『GRABAKA』が結成さました。
北岡悟:そうですね。石川(英司)が『ネオブラッド』に出たんですよね。

当時東京道場に所属していた北岡選手的には、GRABAKAというチームができたことについてはいかがでした?
北岡悟:石川に関しては僕は知り合いだったので。前年に高瀬さんがパンクラスに出場したり、菊田さんがリングに上がったりっていうのに近い部分がありましたね。「あぁ、石川がパンクラスに上がるんだ」って結構思いましたね。GRABAKA自体に関しては、須藤(元気)さんに「お前は入りたくないの?」って言われましたけど(笑)。でも、それはちょっと違うかなっていうのと、あと、GRABAKAがこんなに大きくなって長続きするものだとは思ってなかったので、「いや、いいです。東京で」って言いました。

この年、北岡選手個人のことで言えば、やっぱり5月のパンクラス入門と10月のプロデビューというのが大きいですよね。
北岡悟:そうですね。でも、敷居が低くなっていろんな日本人選手が上がるようになった中で自分もデビューして、結局その(他流派の)日本人選手に勝てなかったという現実。自分はどうやって生き残っていこうか? どうやって生き残っていくんだ?っていうことに直面させられましたね。結構厳しい幕開けだなって思いました(苦笑)。

では、もちろんご自分の試合は印象に残ってらっしゃると思いますし、最初に出た船木VSヒクソン戦もあると思いますけど、それ以外で何か印象に残っている試合ってあります?
北岡悟:ん〜、そうですね・・・。もうこの年になると諸先輩方を諸先輩方として見てるので・・・。まぁ、それぞれ想いはありますけど、どれかっていうと絞り難いところはありますよね。山宮さんが(ランキング・)トーナメントで優勝した時は、「それは当然だよ」って思いましたけどね。

美濃輪選手に勝っての優勝でした。
北岡悟:そうですね。練習もしっかりしてましたし。優勝しても山宮さんは謙虚で、王者ぶることもなく、翌年のVSパウロ・フィリョ戦(2001年1月・『DEEP2001』・愛知県体育館)までいっちゃうんですけど(笑)。山宮さんっていうのはちゃんと強い選手なんだっていうのがこの時点で証明されてるので。それはちゃんとみんな知ってて下さいって思いますよね。初代のライトヘビー級チャンピオンだっていうのを。そういう選手に勝ったからこそ、郷野(聡寛)さんは評価されてるわけで、山宮さんの強さっていうのをみんな忘れないでって思いますよね。こんな言い方をすると逆に失礼かも知れませんけど。ネイサン・マーコート選手も、当時一緒に(東京道場の)寮で生活していて、練習も一緒にしてたので強いのを知ってて。それで「ランキング・トーナメント(〜ミドル級〜)で優勝した時、当時ファンの皆さんはきっと驚いたと思いますけど、(自分は)さほど驚くことはなかったですね。強いのを知ってたので。どんどん強くなっていきましたよね。

わかりました。では、この年、2000年を締め括っていだきましょう。
北岡悟:ん〜やっぱり船木さんとヒクソンの試合につきますよね。やっぱりまぁ、現実として、船木さんはヒクソンより弱かったと。結果が出てしまったっていう。そこからみんなで頑張って、立ち上がっていこうということだと思うので。それと、低くなった敷居から、またいろいろな流れが出てきたと。そういうことですよね。