わかりました。では、その翌年、デビューして2年目の2002年です。この年もまた三崎選手にとっては激動の1年だったと思います。この年、出場した試合は4試合と、試合数自体は少なかったんですけど、そうせざるを得ない大きなケガ(2002年3月・後楽園ホール VSネイサン・マーコート戦での肘の脱臼)がありました。
三崎和雄:そうですね。ん〜、ちょっと甘く考えてた部分っていうのがおそらくあったと思うんですよね。この年には。2001年に『ネオ・ブラ』で優勝して、自分の中で調子にのってる部分も少なからずあったと思うので。で、もちろん菊田さんたちと一緒に練習しているので、本当のプロの世界の怖さ、強さっていうのは十分にわかってたはずですけど、自分なりの結果を出すことができたので、ちょっとこう、調子にのってしまったと言うか、そう言った部分も少なからずあったと思うんですよね。それで、(前年からの)勢いで一番上まで駆け上がろうっていう余裕みたいなものが自分の中にあって。そういうものをもう一度わからされたと言うか、振り出しに戻らされた試合でしたね。このVSネイサン・マーコート戦が。だからそういう意味ではすごい良かったと言うか、これがなければやっぱり今はないと思いますし。ケガをしたことで自分自身を見つめ直す、考え直す時間がいっぱいあったので、それでやっぱり「これしかないんだ」ってあらためて思わさせられたって言うか、デビューした当時よりもその意思が強く固まりましたね。あと、やっぱり悔しさがあったので、そういう部分でまた再スタートを切ることができたのかなと。だから良い時間でしたね。本当に。


3月にケガをして、半年の回復期間を経ての復帰戦が9月(横浜文化体育館)のVS窪田幸生戦でしたけど、復帰戦ということでのプレッシャーはありました?
三崎和雄:プレッシャーと言うか・・・実はこの時から(試合に臨む)気持ちが全く変って、本当に戦場に出るつもりで、前日から座禅を組んだりして覚悟を決めて。それは今でもそうなんですけど。だから本当に復帰までの半年で完全に意識が変ってるので、怖さとか緊張感とかは全くなくて、もう相手を呑み込むと言うか、潰す。潰すか潰されるかという覚悟で。まぁ、久々の試合ということで多少のプレッシャーはありましたけど、それ以上に自分の、自分自身を盛り立てる気迫があったので、乗り越えられたかなと思いますね。

では、三崎選手にとって2002年という一年はどういう年だったのでしょう?
三崎和雄:2002年は・・・自分の今後の格闘技人生とか、人生における分岐点と言うか、意思が固まった年ですね。自分の方向性、意思が明確になった年ですね。