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最終回の『Monthly interview』には、パンクラスismの高橋義生選手や近藤有己選手、そして國奥麒樹真選手のセコンドとして、その姿を皆さんご覧になっていらっしゃるであろう、あの方にご登場いただきます。これまでインタビュー等の機会もそうそうなかった故に、謎のベールに包まれていたあの方ですが、4月25日『PRIDE GP 2004』への高橋選手の出場、そして昨年からの近藤選手の大躍進と実現が待たれるVSヴァンダレイ・シウバ戦で、その存在が徐々にクローズアップされつつある現在、満を持してオフィシャルサイトへ初登場です。必見のインタビューを是非ご覧下さい。
: まずは自己紹介からお願いします。
■ 田代勝久:田代勝久(たしろ かつひさ)です。1964年9月13日生まれで、今年でちょうど40歳になります。出身は福島県いわき市。
: 血液型は?
■ 田代勝久:A型だと思うんですよね。多分(笑)。
: お好きな食べ物とかは?
■ 田代勝久:和食系ですかね。
※ここで傍にいた高橋義生選手が登場。
■ 高橋義生:キャベツ? レタスでしたっけ(笑)?
■ 田代勝久:あぁ、レタスはもう食べ飽きたから(笑)。あの〜、和食です。
: 独身でいらっしゃいますが、お好きな女性のタイプは?
■ 田代勝久:ん〜どうだろうな〜?まぁ、女性であれば良いかなって感じですかね(笑)。タイプ・・・ん〜性格が良い子ですね。
: 容姿はあまり気にならないですか?
■ 田代勝久:あまり気にならないです。性格が良い子がいいですね。もう、年も年だし(笑)。
: お相手の年齢は気にならないですか?
■ 田代勝久:年齢は・・・まぁ、50歳を過ぎてたらまずいですね(笑)。その下ぐらいだったら良いんじゃないですかね(笑)。
: わかりました(笑)。ありがとうございました。では、ガラッと話題を変えてお仕事の話を。現在、ボクシングのトレーナーとして、高橋選手をはじめいろいろな選手にパンチの技術を指導していらっしゃいますが、まずはトレーナーに至った経緯から教えていただけますか?
■ 田代勝久:最初『Kジム』ですね。そこで「お前はトレーナーが良いんじゃないか」ってことでトレーナーをやりはじめて、その後『Nジム』でもトレーナーをやるようになって。
: 最初の『Kジム』でトレーナーをはじめたのはお幾つの時だったんですか?
■ 田代勝久:27歳です。
: では、もうトレーナー歴も12年ですね。
■ 田代勝久:そうですね〜。途中、消息を断ったりしたんですけどね(笑)。高橋君から。2年ぐらい。でもそれぐらい経ってますね。
: パンクラスに関してはもともとご存知でした? それとも高橋選手と知り合った後に、こういう格闘技団体があるということでパンクラスを知ることになったのですか?
■ 田代勝久:パンクラスのことは知ってましたけどね。TVとかで船木(誠勝)さんのことは見てましたから。ただ、出会いは高橋君の方が早かったかも知れないですね。高橋君の大学の先輩、ボクシング部にいた人なんですけど、彼が僕に「高橋という選手のミットを持ってもらえませんか?」っていうことで。
: それは『Kジム』?それとも『Nジム』の頃ですか?
■ 田代勝久:『Kジム』です。
: そうすると何年前ぐらいになるんですか?
■ 田代勝久:8年、9年前ぐらいですかね。
: 高橋選手以前に、プロレスラー、または総合格闘技の選手にボクシングを指導したことはありました?
■ 田代勝久:ないです。高橋君が初めでです。
: 最初、高橋選手を指導することになった時のお気持ちっていかがでした? プロレスラー、総合の選手にボクシングを指導するということで。
■ 田代勝久:あの〜、元々ブルース・リーとか好きでしたからね。だから総合格闘技の選手ってことに関しても、「自分が役に立つなら」って感じでした。
: 高橋選手ぐらいの体格の選手って、ボクシングの世界にもそうそういないのではないかと思いますけど、一番最初に高橋選手のパンチをミットで受けた時はどのような感じだったのでしょう?
■ 田代勝久:ん〜、でもまぁ、最初の頃は打ち方を知らないから、さほど身体にパンチ力は感じなかったですね。それ程までには。当時は(ボクシングの)ミドル級の選手とかもいましたから。72kg級ぐらいの。そういう選手のパンチも受けてますからね。高橋君も、最初はミドル級ぐらいの選手のパンチ力と同じ感じだったんですよ。で、打ち方を覚えていくうちに、だんだんだんだんコツを覚えていくから、それで衝撃がアップしてきましたよね。でも未だにまだ未定ですよ。彼のパンチ力は。未だに未定です。これで彼のパンチ力(の成長)は終わっただろうっていうのはないですよね。
: 高橋選手の場合、どれぐらいの練習期間でボクシングのパンチとして形になってきたのでしょうか?田代さんからご覧になって、素人のパンチから抜け出たと感じるようになったのはいつぐらいからだったのでしょう?
■ 田代勝久:それはやっぱりミット打ちだけではわからない部分があって・・・。高橋君が(スコット・)ビーザックと対戦(1995年11月・横浜)してノックアウトした時に、そのノックアウトの仕方がボクサーに近いノックアウトの仕方をしたから、一皮剥けたじゃないですけど、かなりボクシングの打撃になってきたなって思いましたね。見てて。練習だと同じことの繰り返しだから、なかなか上達度はわかりづらいんですけど、試合を見てそう思いましたね。
: 高橋選手とはもう9年ぐらいのお付き合いとのことですが、高橋選手の次に田代さんにミットを持っていただいたパンクラスの選手は誰になります?
■ 田代勝久:近藤選手、コンちゃんです。
: その近藤選手の次が・・・。
■ 田代勝久:コンちゃんがいて・・・コンちゃんの後に山宮(恵一郎)君もいましたね。その後が國奥君、船木さん、謙ちゃん(謙吾選手)って感じですかね。パンクラスだと。
: それで今もミットを持ってらっしゃるのが、高橋選手、近藤選手、國奥選手、謙吾選手の4人。
■ 田代勝久:そうです。まぁ、他の団体さんはまた別として。
: 田代さんは『PRIDE』さんでも選手のセコンドに付いてらっしゃって、他の団体さんだと藤田(和之)選手もそうですよね。
■ 田代勝久:そうですね。あと、石沢(常光)君のセコンドにも付きましたね。『PRIDE』のリングでハイアン・グレイシーと対戦した時に。2戦目の。
: あの時は石沢選手にもパンチの指導をしてらっしゃったと。
■ 田代勝久:はい。
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