今は大変な不景気と言われています。その中で10周年を迎えるわけですが、格闘技やプロレスって言うのは不景気には強いんでしょうか?
どうでしょう? 不景気で流行るものって言うのはギャンブルって昔から言われているわけなんだけど、今はその不景気以上に人に活気が無い気がしますよね。何をすればいいのかわからない、何かやっても失敗しそうだ、とかね。そんな世の中で自分は闘えないけど、リングで闘っている選手を観に行くと。そういう意味では、格闘技の試合って言うのはハードなんですけど案外癒し系なのかもしれないですね。それから業界全体の興行の入場者数や収益も確かに減っていると思います。でも団体の数や興行の数で考えると、格闘技業界って不景気じゃないような気がするんですよね。

興行の数は間違いなく増えてますよね。
後楽園なんか凄いですよね。昼・夜・昼・夜って何かしら、どっかの興行が入ってるし(笑)。プロモーターの数も増えているし、何より選手の数が増えましたからね。あと、媒体にしてもインターネットにCSにデジタルBS、あとiモードもでしょ。もちろん雑誌も含めて、メディアの数は爆発的に増えましたね。当然そこで働く人も増えているわけですし、業界としては大きくなったと思いますね。

それで1993年の旗揚げから10年目なんですが、その当時に考えていた10年後とはどういったものだったのでしょうか?
そうですね。僕はもともと別の会社を旗揚げの2年前ぐらいに起ち上げていたんですが、鈴木みのるに無理やり脅されて社長になったわけですよ(笑)。僕は5年で社長を誰かにバトンタッチして、あとはファンとしてリングサイドで観ていたかったんですよ(笑)。3年目とか5年目とか、いつか落ち着きどころは来るだろうと思っていたんですが、とんでもなかったですね。落ち着きゃしない(笑)。次から次にやらなきゃいけないこと、考えなきゃいけないことが出てきましたね。何でかと言うと、総合格闘技の歴史って言うのは、たかだか10年くらいしかないからなんです。冷静に考えてみると落ち着きどころなんてあるわけが無いですよね。ルールでさえ60ヶ所ぐらい変わってるし、総合格闘技を取り巻く環境って言うのも変わってる。

劇的に変わりましたよね。
例えば、あるスポーツ競技が10年前に生まれたとして、そのスポーツ競技がたどってきた10年と、総合格闘技がたどってきた10年を比べたとしたら、相当な差があると思いますね。教える道場の数、興行やプロモーターの数、それから競技人口、それらが10年前では考えられないくらい飛躍的に増えてますよね。この10年来の異常な増え方は、他のスポーツ競技と比較しても尋常じゃないと思います。

「格闘技」であるというのも普及に一役買っていると思うんですよね。強い弱いがハッキリしているというわかりやすさと、ルールの中での暴力というか、ある種人間の本能を満たしてくれる要素を持ってますからね。
確かにそれはありますね。あとそれから、これはいろいろなところで言われるんですが、やっぱり求められていたスポーツだったんだと思うんですよ。古代ローマではパンクラチオンという総合格闘技があったわけです。それがあまりにも危険だということでボクシングとレスリングに分かれましたと。それから打撃系格闘技と組み技系格闘技が交わることがほとんど無くなったわけですよ。で、1990年代にあらためて交わったわけです。例えば僕らの世代で柔道も空手もどちらもやった人がいるとします。でも、その両方の技を使う機会というのはほとんど無いわけですよ。あるとしたら喧嘩ぐらいですけど、それは反社会的なことであり、そもそも一般的な社会常識からは外れたことなわけで、やっちゃいけないことなんです(笑)。でも、その両方の技術をルールの中で思い切り使うことが出来たらなぁと思ってた人は世界中に沢山いたんです。そんな中、空手家の東孝先生という方が大道塾という競技を作られた時に、空手の中に“投げ”を取り入れたわけです。

東孝先生はもともと柔道出身だったそうですが、あれは衝撃的でしたね。
もちろん東先生だけでなくて、その他の第一線の格闘家達がミックスしていこうと色々考えていたはずなんです。ただ、周りの状況を含めて実現が難しかったと思うんですね。そして1993年にアルティメット大会が開催されて火がついたと。この間インドネシアに行ったんですが、格闘技といえば柔道であったり、空手に関しては一流派だけでジャカルタ近辺に200ぐらい道場があるぐらい格闘技が盛んなんですが、そういうインドネシアの柔道家、空手家の人達はみんなアルティメット大会を見て「俺もやりたい!」と思っていたみたいなんですね。だからインドネシアとの提携の話はとにかく早かったんですよ。ウチが提携をするっていう話が決まって、提携の調印式に記者会見。その前に菊田(早苗選手)と石川(英司選手)がセミナーをやってくれましたけど、僕たちが日本に帰る前にそのセミナーをやった道場をノバント会長(「F.O.B.I.=インドネシア格闘技連盟」の会長)が契約しちゃったんですよ。ここはパンクラスの道場にしようって(笑)。あと嬉しかったのは、その「F.O.B.I.」がインドネシアのオリンピック協議会の下部組織になるわけです。国家が認めた初めての格闘技連盟になるわけなんですね。で、今はもう生徒さんも結構いるみたいですから、とにかく早い。この10年いろいろな事を経験しましたけど、その中でもとりわけ早かったですね。世界における総合格闘技の裾野の広がりって言うのを凄く感じました。