2月のグランキューブ大阪大会の試合の中で、久々に旗揚げメンバーの冨宅選手が第2試合に登場して2ラウンドをフルに闘ってくれました。そういうものを見ていく時、旗揚げ時の10年前というのは、彼は今の参戦している選手よりも、まだ若干若いかもしれない中で闘っていました。その時の思い切りの良さ、返し技の冨宅のようなイメージの中で仕掛けていくような、彼のいわゆる選手としての能力、そういうものが高まっていった10年でした。逆に、技術と経験が積み重なっていくという裏には、肉体年齢が積み重なっていくという他に、練習や多くの試合を経て、いわゆるダメージ、ケガも積み上がっていきます。そういう意味で、10年間プロのリングを守って試合に出場することの難しさを感じます。逆に言えばそういうものの為に“レッシュ”、 我々はいるんだという意思を強くした試合でした。

今回お話ししたいのは、キャリアと年齢が積み重なった時に、一般的には体力が失われていくんだと言われています。体力が下がってきたらスポーツ選手は大変なんだよと言う事を私はよく聞きます。体力というのは一般的にはパワー、筋反射のスピードであるとか、動くものを捉える動体視力というもので数値化されて、選手の体力が落ちてきた、有酸素系の反応がどうのと言われるんですが、基本的に柔軟性であるとか、もちろん最大出力であるとか、身体スピードであるとか、バランス能力であるとか、それらが体力なのかも知れません。ですが、もっと平たく言うと、失っていくのは体力では無くて、身体の能力自体が失われていくわけです。ですからただ単に筋力をつけておけば、年齢、キャリアなりに対して対応していけるだろうと簡単に考えるんですが、逆に言えば基本的な能力のバランス、トータルな見方、トータルなセッティングが出来ない状況の中で、ただ単に身体の一部分の筋力を上げたならば、より一層バランスが崩れます。それによっていわゆるスキル、プレー自体が出来る出来ないではなくて、日常生活ができにくくなるようなダメージを身体に入れてしまう事が多分に見られます。ですからそういう意味では自分のファイトスタイルに対して、どういう能力がベースになっているのか?それから今のパンクラスのリングで言えば、どんな能力が最も必要とされているのか? そして冷静に自分を分析した時に自分のピークであった年齢の時と比べてどんな能力が落ちてきているのかという事を冷静に判断して、そこにまずメスを入れない限り、ただ単に重い物を持つとか、一定時間の中で走り込みをして有酸素系の能力を鍛えるとか、そんな形にしても、技術というのは身体能力の集大成ですから、技術は感覚の中で、体感している感覚の中で技術を選手達は選択をしていきます。

手応えであるとか、指先の感覚とか、スピード感とかいうものです。でも、あくまで、“感”です。自分ではやっているつもりだけど、違うシステムで身体を動かしているという事はいっぱいあります。大きなケガをしたりすると、これは凄く解ります。今迄であれば、重心側の足に、きちんと重心の足にシフトが出来ていた人が、その足をケガした時点で、きちんと落とせなくなってしまいます。ケガが痛くなくなったとしても、ケガのダメージというのは、痛みではなくて能力を失うという事で表れてきます。ですから本当にケアする場合は痛みが無くなった後に、きちんとした身体の動き、能力というものを回復させてあげないと、技術も回復は絶対して来ません。そこから進化もしません。ですから(鍛え続けているアスリートに関して)30才代、40才代というのは、身体能力自体は伸びないかも知れませんが、トータルなコーディネイトさえちゃんとしていれば、スキル能力はまだ伸びます。だからこそ昔の武芸者は年齢を感じさせないで進化をしていきました。今の人達はそこを忘れて、何でも数値化出来るものに自分を委ねてしまうから、技術というものを軽々しく考えるようになるし、何かをするのにセオリーだの、パターンだのというものに頼らざるを得なくなってしまっているのが、そこなんです。そうではなくて、年齢なりキャリアなりを積み重ねていくに従って、そういうものを利用して、自分の失われていく能力というものに、いかに歯止めをかけていくか?という事が一つ。それがコンディショニングという言葉の本当の裏にある意味だと思ってくれると良いと思います。

ヒロト道場のスタッフは20代前半で私のところに来て修行をして、もう7年、8年になろうとするスタッフがいます。彼等はそうやって考えると、20代前半で修行を始めて、30代に手が届く、もしくは届いたという様な中で、ようやく私に許されてトレーニングの世界、今迄、“治す”という事を徹底されてきましたから、その中で人の体のいわゆる原則、そういうものを徹底的に勉強してきてもらったので、今はトレーニングという場になった時に、20代前半で何となく力越しというのか、何となくわからなくても出来ていたとしたら、見落としてしまうものを、今きちんとトレースしながら、何故出来るのか? 何故こういう風に身体を動かすのか?という事のシステマチックなものを、きちんと勉強してくれています。そういうものが私の口からではなくて、うちのスタッフからも皆さんの目、耳に届く事が近々あると思います。そういうものを踏まえて、コンディショニングというものを認識して欲しいなと思います。選手の方や、今これから、若いうちに自分の能力を伸ばしたいという人は、失っていく能力を何度も動かして発展するような10代、20代前半の頃に、いかに自分の身体の能力というものを高い所まで引き上げておけるかという事で、要領よく練習することよりは、しゃにむに練習するという事を、セレクトしてもらいたいです。

要領よくトレーニングするというのは、引き出しと容積をいっぱい持った人が、それを使いこなす為に考えて行なうという事が、いわゆる科学的トレーニング、要領よく身体を動かしていこうという事であって、ボーダーラインを低い所に設定してしまって初めから要領よく身体を使うようにしてしまうと、頭打ちは早くに来ます! これだけは言っておきます。若い時に、それは根性トレーニングとして無茶だろう、何でそこまで追い込むんだという事をして高いレベルにボーダーラインを設定しておかないと、能力というのは必ず失われていきます。削られていきます。若“返る”という事は有り得ないんです。自分の衰退するスピードを絶対的に緩めるという事!ブレーキをかけておく事は出来るんです!ただ間違いなく遅々としてレベルは下がっていくものです。これは人間の身体の原則なので仕方ありません。ただ、それを若い時に高めておくから、30代40代になった時に、ゆっくり降りて来るスピードと、高いところに初めに設定したおかげで、その年齢になっても20代に負けない体力があったり、20代に負けない能力を持っています。それがヒクソン・グレーシーだと考えれば良いと思います。そういうところの大切さ。技なり何なりではなくて、生きざまに感動してもらいたいと思います。