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今回、この指導者というテーマにしたのは、はからずしも11月30日の両国大会で、船木誠勝顧問がismの選手は云々、GRABAKAの選手は云々と、現在、GRABAKAの選手こそが世界に通用する選手だということが彼の口から出てきて、それは大変ショッキングな言葉だったと思いますが、私はある意味それは事実だと思います。ですが、私は違う意見を持っています。と言うのは、私は野球を例えに話をしますが、プロ野球で言うなら、ismというのは、生え抜きからきちんと育てていきながら選手の層を厚くしていくタイプの球団です。創始者のグループです。創始者のグループというのは、他団体から分裂して、その部分から事を起こして来たというところでは、私はまずGRABAKAとたいして変らないなと思います。自分達はGRABAKAだったんだよ、という事を忘れてはならないと思います。GRABAKAの選手達というのは、強いに決っています。何故ならば、元々がトップファイターであった人達が色々なところから集まって来て作った集団です。だから某球団の様に、色んなチームから4番打者を集めて、FA(フリーエージェント)だとか、トレード等の形で、その様に選手を集めて来て、即戦力で強い球団を作って来たという、そういうFAをして来た球団、強く作った球団の人達がGRABAKAであるわけです。それに対して、一生懸命ファームから練習して、ちょっと1軍に上がっては落とされてという事を繰り返しながらやっているのがismの選手でもあるわけです。その中で、常に勝利を期待されているのはismです。ここが味噌です。
某球団は常に勝利を約束されて優勝しなければ駄目だ、日本一でなければ駄目だということで、高い契約金を払ってFAさせたり、トレードしたりして、色んな球団の4番バッターを集めてくるわけです。それにより戦力を上げて、常に勝てるものにしようという、大変贅沢な団体作りをしているわけです。だから本来それだけの戦力を集めて作ったGRABAKAの選手達が強くて良いけれども、でも常に勝利を期待されているのは、実はこつこつと作ってきている息の長い団体、要するに生え抜きの団体のismの選手達が勝利を期待されてしまう。そこがプロ野球とは違う構図です。それゆえに、ismの選手は大変なんです。船木君達(旗揚げメンバー)は、色んな団体の若手のエースという形で頑張ってきて、鈴木選手もそうでしたが、また、高橋選手もデビューして勢いのある時で、そういう中、それぞれの実績を何だかんだやってきて、勢いのある団体を作ってきたのだから、私はism自体がGRABAKAの様相を呈していたというのは、私は旗揚げから共にしてますから、冷静に見れば私は同じ人達だなと思います。ismには教える選手が中々いないということで、高橋選手は私も好意にしていますが、中々良い若手がいないと、一緒に練習するとモチベーションが下がってしまうという事もあり、出稽古を中心にしたりとか、自分の練習パートナーを決めて練習するのをスケジューリングしています。私は、これは正しいと思います。何故なら、高橋義生はまだプレーヤーだからです。
だけど、指導者として指導をするのであるならば、またその位置にいなければならない者がいるとするならば、気分で教えてもらっては困ります。これは指導者としては最悪です。相手が良い選手だから教える。怠けていて嫌な奴だから、言う事聞かないから教えない。これは指導者としてはやってはいけません。指導者として名を売るのであれば、どんな相手にも、どんな形であってもチャンスを与えるべきです!チャンスを与えないで、こいつはどうしようもないと思うのであれば、一気に首を切るべきです。破門にするべきです!破門にしないのであれば、その選手の技術を上げていくという、責任管轄はその指導者にあります。自分の事云々の前に、指導者は弟子の事に最善を尽くさなければなりません。これはヒロト道場のスタッフを育てたり等、何かする時に私もものすごく苦しみます。当たり前の治療云々というのであれば、適当にカリキュラムを組んで、「はい、これやって」「これやって出来た」というのであれば良いです。私はプロフェッショナルな人間を作りたいんです。私に追いて来ない奴は駄目だよという形の中で、私は厳しく指導していますから、私が20年以上かかってやって来た事を、そんな簡単に、1年2年でやれるわけが無いです。やってもらっても困ります。ですが、なるべく短い時間で育て上げようと思いますから、それはもう夜中だってなんだって、居残りで関係なく指導します。朝方4時になる事だってあります。ヒロト道場のスタッフだって、朝、午前中から働いてますから、時計が回って、間にお弁当を食べたり何かしているけれども、それは集中力だって切れてきます。疲れてきて眠いでしょう。でも、今教えなければ駄目だという時は、朝方4時だってなんだって、私は残してやらせます。そういう中で、指導する側も育ててもらえるんです。結果が出ないのは指導者の責任です!指導した側が、下の奴等が何を考えているか解らないというのは、意思の疎通をしていない指導者の責任です。
その中で、1人で全部やっても行き届かないから、渋谷、國奥、近藤といった、そういう中核の選手がリーダー的な存在として、若手を引っ張っていって欲しい、というのなら話しは解ります。自分はそのまま外にいて教えたくないから、あいつらが中心になってやれというのは、これは責任者でもなければ、何でもないから、道場の中の事をとやかく言ってはならないと私は思います。外様なんですから。何かを言う、指導をするという事は、責任が付いてまわります。その責任において、きちんと指導者は教えなければなりません。その熱意で、下の者が10人いたら、その内の何人かは目を覚ましてくれる事を、指導者は期待するしかありません。皆にきちんとチャンスを与えて、熱意を伝えて、技術を伝えて、何かをしてあげても、やはり人はそれぞれですから、それに応えられるタイミングも、応えられる技術の深さも、体力の量も色んな意味で皆バラバラなんです。選手1人1人をどれだけ見てあげられるか、どのぐらい把握してあげらるかで、今度は指導法が変ってくるのです。全部一律にして、自分の型にはめようとして指導をしていたら、それは指導者の技術不足です。教えるという事は、ただ単に知っている事を伝える事ではありません。自分もそこで新しい事を知らなければなりません。ですから、そういう意味では、その責任というもの、私が稲垣君を良く例に出すのは、彼は自分の責任において、指導しています。だからこそ、あれだけきちっとしたセコンドワークが出来るんです。何にしろかんにしろ、それは駄目だ、それは良いという事をきちんと言うのは、普段から選手1人1人を直接きちんと指導して、自分の知っている事を惜しみなく捧げてでてあげられているから、選手はそれに応えようとするし、それをするから故に、自分が進歩している事実を選手が認めるから、前田君の様な選手、他の大阪の選手達の様に従順で前に向かっていく選手が出て来るのです。
それをismに求めるとするなら、まずは先輩達から変らなければ駄目だと思います。下の人間は中々文句は言えません。言い分だっていっぱいあると思います。だから、そういう言い分というものを、会議で聞こうとしたら絶対駄目です!練習の中で、苦しくなったり、何かした時に本音を聞き出さなければならないし、どんな子だって、絶対にえこひいきしてもらいたいんです!自分を見てもらいたいんです!目を集めようと思って、子供はわざと積み木を壊してみたり、悪戯してみたりするじゃないですか!若手の選手がたまに訳のわからない髪型にしてみたり、刺青入れてみたり、奇抜な行動をしてみたり、発言をしてみたりするという事は、“俺に目を向けてくれ”という、1つのサインなんです。それに先輩達がどれぐらい応えたか?という事です。鈴木君は、あー見えても優しい人間です。鈴木君は優しいから、そういう意味で距離を上手く詰めて、あ〜だの、こ〜だの口やかましく言うけれど、きちんと見ています。ただ、彼は今、MISSIONというところに移って行きました。その時に、國奥選手や主だった人間には、自分はこういう形でismから抜けるから、後はおまえ達に頼むぞという事を十分に伝えています。そういう部分もあります。その鈴木君の心と、船木君の心が、意思の疎通が取れていないから、私からすると凄くチグハグな発言に見えました。鈴木君から聞いている事と、船木君が感じてあの様に、世の中に、ファンに伝えたいと思っている事とは、同じ事なんです。これは、私は10年以上彼等を見ていますから、いつも反対の事を言っていたり、いつも2人は対比されますが、基本的にはパンクラスに対して同じスタンスです。何だかんだ言っても、表現が違うだけで同じ事を言っています。ですからそれには全然ズレはありません。
ただ、意思の疎通、言葉とかそういうものに対しての意思の疎通が無いから、組織がグラついているんだという事です。という事は、ismの若手選手達が不甲斐ないからこういう事になったのか?と言ったら、私はそうでは無いと思います。先輩達がきちんとした組織作りとは何たるかという、縦の関係と横の関係、そういう意味で情報が行き届いていないという事です。ちゃんと流れていないんです。情報をきちんと流して、自分達はこうあるべきだという、例えば軍隊を考えれば解ると思います。我々はこうやって、こうやってこうやって、こういう方向で行くから、皆頑張るんだ、行くぞ、という事があるから、一糸乱れない作戦がとれるんです。GRABAKAは幸いにしてエリートの人達が最小集団でやっているから、意思の疎通が物凄く取れているわけです。それが、グラつかないものであって、GRABAKAの正体はそれです。ismだって半年あれば、ガラッと変ります。人間なんて、1ヶ月あったらガラッと変ります!ですから若手選手に言うのは、今までの自分の戦歴や、自分がやって来た事、他の選手達の関係等、その様な事をこの2003〜2004年に精算して、自分が本当に新年から生まれ変わるという気持ちになって半年過ごすか、死ぬ気で本当に24時間、毎日闘う気持ちの中で、闘う為に飯を食い、闘う為に風呂に入り、闘う為に糞をして、闘う為に練習をするということです。そういう毎日にガラッと切り替えられた時に、私は次のチャンスカードは絶対にその人のところに来ると思います!今迄の肩書きはチャラです。誰もがイコールコンディションになります。迷わずやった奴、それがパンクラスという団体からも信頼を得るし、仲間からも評価されるという事だと思います。それを統括して、上や下の部分に気を配りながら自分のエッセンスを伝えていくという事が、今度は國奥、近藤、渋谷の役目になると思います。そして大きな試合の時に、そういう選手達が堂々と何でも良いから名を連ねる事が凄く大切な事だと思います。
指導者というのは、本当に大変です。見返りなんかありません。稲垣はそれを知っています。苦労が多いけれど、見返りなんか少ないんだという事を。でもそれは、私は稲垣君は現役の選手時代を、ああいう形で過ごして、ああいう形で終らせたというところがあるからこそ、指導者の喜びなんていうよりは、一心不乱に指導している事だけです。それに尽きます。だからこそ、船木顧問を代表として、教えたいからとか、教えたくないからではなく、そういう彼らは指導者としてまだ若いです。彼等もまだ若く、彼等の知っている事が全てではありません。それは彼等が教える事によって学んでいくのだから、出し惜しみをしない事です。教えたくないとか、教える気分にならないとか、そんな事を言っていたら団体は成り立ちません。自分が作った団体なんだという自負があるのだったら、自分が生きているうちは潰してはいけないんです。これは営利を目的とする“会社”としたらそうじゃないですか。自分が社長になって、売り場や、品物を流通させる現場から離れても、会社のリーダーである事は変わりません。会社の全てを知らなければなりません。そういう所での責任感がなくなるから、部下が不正な事をしたり、使い込みをしたりしても気付かないんです。そういう事件が世の中に多いという事は、世の中の風潮で、責任を取ろうとする人が少ないという事です。私はそういう事だと思います。それをもう一度戒めてやっていけば、組織の立て直しなんかは物凄く簡単に出来る事です。そんな大袈裟な事ではありません。その変わり、指導者というのは本当に辛いものです。見返りはありません。でも、見返りがあるとしたら自分の中にそれはあります。自分の中に何かが生まれて来るからです。教えた人に何かを返してもらうのではありません。教えられた人は、また自分以外の人に教えていく事で、自分の感謝を伝えていくんです。教えてくれた人に返すものではありません。ですから逆に言えば、教えた指導者は、教え損です。世の中はそういうものです。その変わり、自分の中が豊かになるから、教えた事によって自分自身が豊かになるという事です。大きく膨らんで伸びるという事です。それが“情けは人の為ならず”という言葉の本当の意味です。温故知新、日本の言葉を良く勉強していくと色々な事が解るし、それは世界に通用する事です。だからこそ、今回の船木君のああいう発言は、そうやって捉えて欲しいし、逆に私からパンクラスの選手達へは何かを回してしか言う事が少ないけれど、覚悟を決めた若い奴は恐いということ!私は来年で43歳になりますが、42の私だって、また来年、内容は言いませんが、新しい事にチャレンジしようとして計画を立てています。それは42歳として考えれば辛い事がいくつもあります(笑)。肉体的にも精神的にも、色んな意味で辛いです。それは自分の下にいる、私を信じてついてきたスタッフの為には、それをやっておいた方が自分の為になるし、組織の為になるし、彼等の為になるから、私は信じてそういう道を選びます。これは辛いです。でもそれが楽しみです。だからこそ、教える者、教えられる者、それがあって初めて指導者という存在があるという事です。どっちかが一方通行では絶対にいけない!という事。それはどの社会でも同じ事だと思います。そういう意味でファンの皆さん方には、選手達を温かい目で見守っていただく事をお願い致します。その代わり選手達は淘汰されないように、また、出し惜しみする半年間を過ごしたら、私はそいつはもう消えていくものだと判断します。
世の中は厳しいです、頑張って欲しいと思います。
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